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本歌取り

Twitterの朝ドラ界隈ではヒロインの彼氏・貴司が作った短歌「君が行く新たな道を照らすよう千億の星に頼んでおいた」が万葉集の狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)の歌「君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも」の本歌取りであることが明かされた昨日から、俵万智がそのことに気づけず悔しがったり岩波書店のアカが「うちふるえました」とツイートするなどちょっとした騒ぎになっているが、この人の名前(狭野茅上 娘子とも書くようだ)を覚えるのに丸一日かかってしまった。そしてまた忘れるだろう。なので、ここに書いておこう。

ともあれ、本歌取りというのはレイヤー構造であるわけなのだなあと思う。元の歌は激しい情念のこもった歌だが、貴司の歌は穏やかで、距離をおいてみつめている風である。だが、本歌取りだとわかった人には元歌の情念の世界が透けてみえる、みえてほしいと作者は願っているということか。
掛詞とかもそのひとつなのだろうけど、短い中にも何重にも世界が重なり、複雑な景色をみることができる、そのための技法が長い間に蓄積されてとんでもないことになっているようだ。これはやはり近づかないほうがよさそうだ。

狭野弟上娘子は当時の女官だったそうだ。女官ってどんな服を着ていたのかなと思い、ぐぐって出てきた画像を参考にした。チマチョゴリと似ているね。

雪でいろいろ思い出す

何かを読んだり聞いたりしているうちああ、そうだ、あれはどうしたとか、これはどういう意味だったろうとか、あの人はこんなこと言ってたなと思ったり、次から次へと思い出し、そして気がつけば亡くなったひとのことをぼんやり思っていたりする。

雪の写真や映像を見ているうちに高村三郎さんのことを思い出した。若い頃お世話になった人たちのうちのひとり。五十代で亡くなられたけど、いまでもあの笑顔、口調は覚えている。岩手県雫石の出身で、小説も書くが俳句も若いうちからつくっていた。

雪しまき顔ふせ歩く子が来たり

雪の面をひくく這いゆく吹雪かな

雪降るや野に何もなし音もなし

(いずれも「春の泥」所収)

写真は岩手県じゃなく新潟で撮ったものだけど。

あけましておめでとうございます

すっかりひとりの気ままな生活に慣れたお正月。幸いなんだかんだいっても今のところ元気です(先のことは考えないようにしています)。

昨日は紅白を「ながら見」してたんですが、藤井風という人、初めて見た。ほーーーーー。

岡山出身ということだけど、「死ぬのがいいわ」でも方言をうまく使ってる。「あなたがええ」とか「あんたがええのよ」とか。ネットで歌詞を調べると「いい」となってたりするけど、「ええ」と聞こえる。「何なん」という曲も聴いてみたがこれはさらに「はさがってる」とか「わしは言うたが」とかいっぱい使われている。私は広島弁はよく聞いたけど(なんでかは省略します)岡山弁って広島弁によく似てるよね。まあお隣だからあたりまえか。
いいなあ岡山弁。大阪弁はすでにメジャーになりすぎていまさらどうってことないけど、これから岡山弁あたりがくるのかもね。

初日の出には間に合わなかったので初月の出を先ほど拝んできました。いやー、初月の出っていいもんですね。なにやら敬虔な、身の引き締まる気持ちが全然しません。

その後、ねんがらじょう(語調を整えるために「ら」を入れてます)を投函、近くの100円ローソンに寄ったらまだ100円おせちを売ってたのでちょっと買いました。これ、お酒のむためのものかな。のんでみようか。チョーヤの梅酒(ちいさい瓶の)ならある。

ボテロ展

今日は京都の京セラ美術館で「ボテロ展」を観てきた。

ボテロって、ふくよかというかおでぶさん(そしてそのおでぶさんがぴったぴたの服を着ている)の絵で有名だけど、そんな画家の名前が「ボテロ」ってわかりやすすぎませんか。べつにいいですが。

撮影自由なので撮りました。一部の作品は撮影可というのはときどきあるけど、ボテロ展は全部撮影可でした。ボテロ、太っ腹。さすがボテロというだけあるな。

人物の絵もいいけど、やっぱり花や果物の絵が好き。いつまでも見ていられそう。

でも、こんなふうに写真を撮るとショップでポストカード買う気も起こらないね。商売上がったりではないんだろうか。と心配してみたり。

ところで、阪急京都線には久しぶりに乗ったんだけど、淡路駅のそばがものすごい工事中であることに気づいた。もう何年も前からやっている高架化の工事で、まだ終わりが見えない大工事らしいけど、私がいままで気づかなかったのはたぶん、梅田を出てすぐに寝てしまう・・・まあ十三くらいまでは意識あるんだけど・・・のでこれまで気づかなかったのだと思う。今日はたまたま起きてた。

で、その工事が終わり、めでたく新駅となったら「ニューあわじ」になる、とまことしやかに語られているそうなのだが、ほんとですか。そうなったら車掌はやはり「次はニューうあーわああじ〜〜♩」とあのメロディでアナウンスするのだろうか。楽しみだ。

「枯れてる」

帯状疱疹はその後順調に薬(ロキソプロフェンは痛み止めだけど、本命は抗ウイルス薬のなんとかという薬)が効いて、ほぼ治りました。早く治療をしないと長引いて、治ったあとも帯状疱疹後神経痛というのが出る可能性もあるそうなので、皆さん、帯状疱疹かと思ったら早くお医者さんに。というよりワクチンがあるそうなので打っておいたほうがいいかもですよ〜。

ところで、最後となった日、お医者さんで「ちょっと見せてもらえますか」と言われて背中を見てもらったら「ああ、もう枯れてるな」と言われました。

「枯れてる」

なるほどね。最盛期は真っ赤なぶつぶつだったのが茶色く、平坦になって、少しずつ薄くなってるようです。「枯れる」んですね。発疹は。

腰痛でまいった(続き)と思ってたら帯状疱疹

えっと・・・続きなんですが。

腰はけっこう調子良かったのですが、13日の日曜日に突然またぶり返した。
それとほぼ同時に、なんだか神経痛みたいな痛みが出てきた。キリキリ!という痛みが右の脇の下〜胸あたりに。
こういう痛みは実は子供の頃からなのだ。といっても当時は頭というかこめかみ、かな、なんだかその辺にキリキリ!という痛みが出て、そのことを母に言うと「おかあちゃんといっしょやな。遺伝したんやな」と言われ、それ自体はちょっとうれしかった。おなじことを父に「お父ちゃんといっしょやな。遺伝したんやな」と言われたら「げー」と思っただろうけど。

その後、成長するにつれ、時にはふとももあたりにキリキリ!という痛みが出たり、また別のところだったりしたが、まあそんな感じだったので、今回も「要するに神経痛なんだな・・・」と思ってたらいつもより長い。何日も続く。そして、今までよりずっとキツイ。今までそんな痛みで薬をのんだことなかったけど、バファリンを飲んだらけっこう効いた。また痛みが出ると、またバファリンを飲んだ。

そうこうしてたら胸のあたりがかゆくなってきて、かいてたら赤く、ぶつぶつとはれてきた。背中にもある。それでやっと気づいた。帯状疱疹じゃないの、これ!

ネットで調べると、帯状疱疹は早く治療を始めたほうがいい、とある。それですぐに徒歩圏内の皮膚科に。問診と、実際に背中を見ての医師の判断はやはり「あ、帯状疱疹で決定ですね」

というわけで、いろいろ薬をもらい、毎日のんでおります。「帯状疱疹は痛い」「あれはきつい」とうわさに聞く通り、その痛みたるやかなり過激で、なんといいますか刃物で切られたようなというか焼かれたようなというか、とにかく鋭く、かつ強い。夜に飲んだ薬(痛み止め)が朝までもたず、夜中に痛みで目がさめ、眠るどころか七転八倒するばかりでどうしようかと思ったけど、とりあえずつなぎにバファリンでいいか・・・バファリンよ、頼む!とのんだり(一応効いた)。それが2日続いた。まいった。
今日、クリニックでそういうことを伝えて、追加の痛み止めを出してもらった。これで安心か・・・ふー・・・。

痛み止めが効いてる間はほぼ普通。かゆみのほうはたいしたことないです。ただ、くりかえしますが、痛み止めがきれたらひどいことになるだけです・・・いや、おそろしい、おそろしい・・・。

あ、ぶり返した腰痛はいちおう収まりましたが、そういうことでリハビリに通うのはストップしてます。痛い時に引っ張られたらとんでもないことになりそうじゃないですか?

写真は今日撮ったサザンカ。

腰痛でまいった

11月はじめ頃、仕事でソファに長時間座って相手のお話を聞くというシチュエーションがあり、そのときに「あ、これは・・・ちょっと・・」と思った。腰が。ソファの座面が少し低くて。

案の定、最近調子がよかった腰が少しやばくなった。
しかしその後持ち直し、先日のコンサートのときも問題なかったのだけど、やっぱりだんだん痛みが出て、やがてこれまでで最もきつい痛みに変わるのであった。
椅子から立ち上がる時が大問題。電車に乗っていて降りる駅が近づくと「降りられるかな・・・」と不安になる。痛みがだいたい予測できるから。
腰のあたりにしっかり握ったげんこつをぎゅっとあて、それを支えにするとなんとかあまり痛むことなく立ち上がることができるということがだんだんわかってきた(かっこわる)。ひどいときは歩いているときも、立っているときもじんじんと痛む。買い物に行くのによちよち歩きだったりで、これではまさしく「おばあさん」「年寄り」「棺桶に片足つっこんだひと」ではないか!

今思ったけど、「ばあさん」より「おばあさん」のほうがほんとにおばあさんぽいね。「ばあさん」のほうがだいぶライトな感じする。

そういうわけで、へろへろと整形外科へ。診察台に上がるのも大仕事だったけど。
で、とりあえずちゃんと検査してみましょうということでMRI(紹介された別の総合病院で)、血液検査、尿検査、骨密度検査を受けた。

MRIは初めて。CTもPETも過去に受けたことあるし、もうこれで完璧じゃ〜。

結果は、背骨が変形して(?)端が神経に「あたっている」から痛みが出るということ。
一方で、以前から指摘されていることだが私の背骨は曲がっている。今回も最初にレントゲンを撮ったのをみせてもらったけどみごとに曲がっていて、いまさら治らないなと自分で思う。まあ要するにもう背骨が年寄りなんです。ほっといてくれ。

血液検査、尿検査の結果はほぼ問題なし。骨密度も十分だったそうで、これはよかった。骨密度検査もはじめてだったので。

ということで薬を出してもらい、一方でリハビリ(腰の牽引と電気治療)をしばらく続けることになった。

「牽引」はけっこう気持ちいいですね。寝そう。伸ばしたり戻したりを5回繰り返すんですが「もっとして・・・」と思うくらい。でも、あんまりやりすぎてこれ以上胴長になったもどうかと思います。(続く)

大男

きっかけが何だったかは省略するとして、最近「飢餓海峡」を読んだ。水上勉の代表作のひとつであるあの長編小説。映画化もされたが私は見ていない。今回、小説だけ読んだ。執筆されたのは昭和37年(週刊朝日に連載された時期。後加筆され、本として出版された)だが、描かれているのは昭和22年、そしてその10年後。

大型台風で青函連絡船が沈没、死者・不明者あわせて500人以上という大惨事となる。おびただしい死体が打ち上げられ「海岸の悲惨は眼をおおうものがあった。」
ところが、乗船名簿と照らしわせると数があわない。死体の数がふたつ多い・・・というところから物語が始まる。そう聞くと思いつくのはチェスタトンの「折れた剣」だろう。その通り、そこに隠された(隠そうとした)企みがあったというわけなのだが、かなり早い時点であやしいと思われる人物がいて、それが「大男」なのだ。

「その男は大男でね。六尺ちかい体格で」とか「無精髭を生やした六尺ちかい大男が」とか「髭男で六尺ちかい大男という目につきやすい犬飼多吉」みたいに何度も何度も出てくる。そして「ああ、いました、いました!」「やはりそうですか!」みたいに、それがかなりの「決め手」になっているのだ。

六尺というと181〜182センチくらい。ちなみに最近売れっ子の俳優でいうと鈴木亮平、豊川悦司が186センチ、竹内涼真が185センチ、小栗旬、岡田将生、斎藤工が184センチ、坂口健太郎、松坂桃李、福士蒼汰が183センチと軒並み180センチ超え。いやあ日本人の身長も伸びたものだと思うが、彼らを「大男」と言おうとは思わないよね。実際に間近に見たら、私なんかからみると30センチ以上の差があるわけで、「見上げる」だろうけど、そんなに珍しいほどでもないので、どこか尋常ではない雰囲気を持つ「大男」とは・・・。隔世の感。
もっとも、「飢餓海峡」のその男は体の幅もあったようで「力士のような」とも書かれているけど。発見された靴跡が「十二文」とか。これは単純計算すると「28.8cm」だそうだ。
ちなみに映画でこの「大男」を演じた三國連太郎は178センチで、別に「力士」みたいでもない。

60歳くらいの男性を説明するのに「かくしゃくとした」という表現も何度も出てきて、これも「ふーん・・・」だったが、やっぱり昔は早く老けたんだろうか。
ある箇所では「肉の落ちた歯ぐきにはめこんだ総入歯が、喋るときに音をたてるのも、激しく削げ落ちたように凹んでみえる両頬も、」と、いかにも年寄り臭い描写があり、ページをめくると「五十八歳という年齢を象徴していたといえたかもしれない」と続くので思いっきりこけた。58歳。還暦にもなってないじゃないですか。ブラピが来年還暦。それはもういいですか。いや、もう隔世の感PART2。

と、なんだかんだ書いたけど、この時代への興味も含めて、読み物としてはやはり面白い。読み終わって、「あれ?結局あの男はなんだったんだ?」という人物がひとりいるんですけど、たぶん、筆者、伏線回収を忘れたのかなと思います。

ほぼ完成

近くの団地建替工事。4棟(うち2棟はつながっている)ともほぼ外観は完成したようだ。この写真ではわかりにくいけど、側面にちょっとしたデザイン(ブルーや白、グレーの組み合わせ)がある。
これが立ちあがる前は池のそばのメタセコイアの木がよく見え、夕方はオレンジの夕焼けをバックに黒いシルエットが浮かび上がったりしていい感じだったけど、すっかり隠されてしまったなあ。

かりんの木?

駅前からちょっと歩いた交差点の角、ビュンビュン車が通る道路脇、歩道橋のそばによくわからない一角がある。なにがよくわからないかというと、何年か前、そこにけっこう大きな栗の木があって普通にイガに包まれた実がなっていたから。

いや、どんぐりじゃないですよ、ふつうの栗。
「こんなとこに栗の木? なんで?」と思ってしまう。気が付いたのはその歩道橋を歩いていた時。で、歩道橋を降りてそばに行ったらよく見えるかというと、その一角はいろんな木が生えてて、そこにやクズがむちゃくちゃからみついてる、要するに放置された空間なので降りるとどこだったのかわからなくなる感じ。でも、歩道橋からはよく見える。
実がなってはいるけど、だれも知らん顔だ。「あ、栗だ」とかいう人もいない。別に栗の実がなっててもどうってことないか。そうかもな。びっくりするのは私くらいか。そうかもな。

その歩道橋はたまにしか通らないので忘れてたが、それから何年かたった冬のある日。歩道橋のそばにカリンの木があることに気がついた。
カリンですよ、カリン。割と珍しい木だと思うんですが、そんなことないですか。何をいちいちびっくりしてるんだって? そうですよね。

そのときは冬で、カリンの実はほとんど地面に落ちて、1個だけ枝に残っていた。
で、そのことを思い出して歩道橋に行ってみた。
すると、ねらい通り、カリンの実がいっぱいなってるところを見ることができたのだ。これ、カリンですよね?

(追記・カリンによく似た木にマルメロがあった! ひょっとしてマルメロ? 実の表面がつるつるしてて、葉の縁がぎざぎざしてるのはカリンだとか。とするとやはりカリンかな?)

なかなかすてきだ。西洋の名画に出てきそうな果物。クラナハの絵に出てくる美女が手のひらに乗せ、きゃしゃな白い指先で愛でてたりしそうだ。

しかし、このブロックはやはりこれでもかというくらいいろんな木が縄張りをめぐってけんかしてるみたいに茂っていて収拾がつかない様相。写真でも、カリンの枝がにゅーっと出てるけど、どこから出てるんだかわからない。カリンの木は幹に特徴があるそうなので見たかったが、幹がどこにあるのか全然わからない。下の方はわりとすかすかしてそうなのだが、そこはフェンスで隔てられてて入っていけない。いや、入ってもいいですよと言われてもなんだか不気味で断ると思う。

そして例の栗の木はどこだったかなと思って目で探すと、茶色く枯死した姿が。ああ、わずかに残ったイガがむなしい。
とにかく、よくわからない不思議な一角なのだ。