月別アーカイブ: 2020年5月

アザミ

昨日は割と暑かった。ビールの好きな人は「ああ、冷たいビール飲んでプハーッとやりたいな!」と思って実際そうするのだろうし、アイスの好きな人は「こういう時はガリガリくんだよね!」とか思って実際ガリガリと食べるんだろうけど、ビールは嫌いでアイスも好きじゃない(というと驚かれるけど)私はどうすればいいのだろうか。

写真は昨日撮ったアザミ。もうすぐ咲くのかな。棘がすごい。そんなに防御しなくても・・・。

図書館再開

堺市の図書館もようやく26日から再開。それで昨日(27日)予約本の受け取りに行ってきたが、開館してるとはいえ、館内にほとんど人がいなく、がらーんとしていた。
再開したことを知らない人もいるのだろうけど、それより椅子が全て撤去されてて、あれじゃ暇つぶしに新聞読みに行くなんてできないし。いや、私はしませんが、そういうおじさんたちがたくさんおられるわけですが、まだまだそういった皆様方にとって「平時」は遠いようであります。

帰りにダイソーに寄ったら、マスク50枚入り2000円とかで箱が積み上げられていたが、なんだか複雑な気分だ。だって、ダイソーですよ。かつては100円で何枚か入ったマスク売ってた、300円とか500円とかの品物も扱ってるけど、基本100円ショップだったダイソーですよ。別にいいですが。ついでに言うと、例の布マスクはまだうちには届いてません。

今日は午前中にふつうの洗濯して、さらに追加で毛布も洗濯したら気分すっきり。冬物の片付け完了だ。

写真は昨日、図書館の近くで。

包丁とオレンジ

ちょっと前に兄が家に来て、包丁を研いでくれた。
って、よくわからない話だけど、とにかく、うちにあった包丁を3本研いで、さっさと帰ってった。それで包丁はものすっごく切れるようになった。切れすぎてこわい。ぜんぜん切れなくて安全な包丁だったのに。

でも、包丁が切れるようになったら、やっぱり切るのが楽しくなるね。キャベツとかきゅうり、きれいに切れるのでうれしい。ついつい、食べ切れないくらいのキャベツの千切り作ったり。

なので、最近やたらとオレンジを買ってる。
オレンジってミカンみたいに手でむけなくて、どうしても包丁使わざるを得ないけど、それもまた楽し。今日も夜中に突然オレンジをむいて食べてしまったのでした。

うちの近所で

今日はよく晴れて、そろそろ日傘が必要だなと思わせるお天気だった。
もうすぐ夏か。気が滅入る。

まあせっかくなのでカメラを持って近所を歩いた。

うちの棟のすぐそばでチチコグサがちょっとした群落をつくっていた。みんなでワイワイ、おしゃべりしているみたい。

ハルジオンとヒメジョオンの違いがわからないなと思ってネットで調べたら、どうもうちの近所に咲いているのはハルジオンらしい。ヒメジョオンより花びらが細いとか。いま、花盛りなんだよね。

新聞のこと

私のまわりでも「もう新聞とるのやめた」という人が増えているが、私は今のところ変わりなくA紙を購読している。

その新聞も、コロナの影響で折込みチラシは激減、紙面の広告も減っているらしく、薄くなる一方。最近は20ページ台が続いていたが、今朝の朝刊はとうとう20ページだった。ドアポケットから引き抜く時の手応えのなさに驚く。夕刊並みだ。

しかし、A紙だけでなく、有料の新聞は毎月いくらと購読料が決まっている。連休中は連日夕刊が休みだし、それでなくても、祝日は昔より増えて、おまけに新聞休刊日というのが別にある。それだけ休みまくって、ページ数が減って、ペラペラなのに購読料(月4037円)は変わらないとなると、さすがにちょっと考える人が出てきても不思議はないと思う。

まあ今の状況は一時的なものかもしれないが、V字回復なんてものがあるのかないのか。

紙の新聞が苦戦を強いられているのは誰もが承知のことだろう。購読をやめた人たちは「だって(ネットに比べて)遅いもん」と言う。そりゃそうだよね。速報性でネットに勝てるわけがない。

それで、新聞社としては紙の新聞についてどう考えているのかと思うが、何だかあっさり白旗を揚げているようで、ニュース記事より速報性が問われることのない読み物、それも高齢者向けの読み物に完全に舵を切っている。病気や終活の話とか多い。高齢の著名人の回顧談(やたら詳しい)なども。紙面には加齢臭どころか死の臭いが漂っている。

夕刊と朝刊の関係もよくわからない。夕刊で報じられた内容とほとんど同じことが翌日の朝刊に載ってるのはなぜなのか。夕刊って、そもそもなくてもいいものなのか。新聞には謎が多い。おそらく、かなり昔に決まったやり方を、根本的に変える気がない、変えられない事情があるのだろう。読者と関係ないところで。

そんなわけで、私も困っているのだ。新聞の購読を続けるべきかどうか悩むのである。悩みつつ、多分、ずるずると続けるとは思う。モニタ画面ばかり見ていると目が疲れると言うこともあるし、読み慣れているせいか、紙の新聞のほうが内容が頭に入ってきやすいし、残りやすいように思う。それに加えて、子供の頃から新聞とか雑誌が大好きだから。広いスペースを駆使した記事レイアウトや広告のデザインにわくわくする楽しさは、ネットにはないものだ。
だけど、新聞の側に何だかやる気が見えてこない状況で、決して安くない購読料を払い続けるのがちょっと、もやもやしないこともない。

元の新聞記事を読まず、ネットの断片的情報だけ、それも見出しだけで曲解された情報をリツイートしている人たちを目の当たりにすると、これは危険だなと思うが、多分、そう言う人たちはもともと新聞をあまり読まなかった人たちなのだろう(えらそうに言えないけど)。かつて新聞の購読率が今よりずっと高かったとしても、それは単に「新聞しかなかったから仕方ない」だったのだろうしねえ。

新聞社はいずれ紙の、人の手で配達する新聞をやめてデジタル一本にしたいと考えているのだろうが、いまだにそれがうまくいかず、もたもたしているようだ。もういっそのことさっさと紙の新聞をやめたらどうなの? 寂しいけど。すごく寂しいけど。そしてそうなったら多分、私はデジタルのほうは契約しないと思うけど。よっぽど低料金でない限り。私ってケチだからね。

画像は本文と特に関係ありません。


特に脈絡もなく画像をアップしてみる(3)

去年の5月2日に撮った写真、らしい。
昨日、ちょうど一年後ということでアップしようと思ってて・・・忘れた(笑)

まあいいじゃないですか。
だから、「特に脈絡もなく」と書いてるんだし。

ちなみにこの子は私の孫でもなんでもなく、どこかよその子です。
「よその子」って、なんだかむかし、よく使った言葉のような気がするけど、どういうシチュエーションで使ってたのかなあ? なんか冷たい言い方だよね・・・。