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コンサートに行ってきた

昨日の夜はフェニックスホールでのコンサートに行ってきた。韓国出身でいまはパリ在住、世界的なピアニストの白建宇(クンウー・パイク)がグラナドスの「ゴイェカス」を演奏。といってもまったく素人の私なので全然わからずに聴きに行ったんですが(チケットをいただいたので)。

グラナドスはスペインの作曲家(1867〜1916)で、中でも有名な作品がピアノ組曲「ゴイェカス」。ゴヤの絵画にインスピレーションを受けてつくったもので、「ゴイェカス」は「ゴヤ風の音楽」という意味、だそうだ。全6曲と(補遺となっている)「わら人形」。昨日はこれを全曲通して途中休憩なしで65分ぶっとばしの演奏なのでした。

「ゴイェカス」というタイトルを見るだけで素人としては「なんか大変そう」な感じがしますよね。で、実際、なんかすごかったです。どの曲もすごく濃い。密度がもう、バリバリで、曲自体がそうなんですが、パイクの演奏がまたすごいのです。力強いというか、息も継がせぬ迫力。こっちも体ごとぐいぐい引き寄せられる感じで、思わず身を硬くしました。体じゅうがちがちになっての65分。圧倒されました。よくまあこんな演奏できるもんだ、すごいなと思い切り素人の感想で申し訳ないですが、正直ピアノのコンサートであんなに集中したのははじめてだと思う。

ホールの音響もすばらしかったと思う。いろんなホールを知ってるわけじゃないですけど。だいたい行っても地元のなんとか会館とかいうようなところばかりですけど。すいません。
フェニックスホールは面積でいうと小さなホールで、1、2階合わせて300席ほど。私の席は2階の中央付近で、いい位置だったみたい。パイクの手元もよく見えるし、細かな音も響きも手に取るように、すごくよく聞こえた。

ネットでいろいろ調べると、ゴイェカスはピアノを嗜む人達の間でも難易度が高い曲とみなされているようですが、あー、そうだろうなと納得。体力も必要だと思う。拍手がいつまでも鳴り止まず、パイクさんは何度も舞台に戻ってきたけど、アンコールはなしでした。だろうと思います。演奏で力を出し尽くしたと思うし、こちらも、ゴイェカスの記憶だけを持って帰ったほうがいいにちがいありません。

ホールの正面はこんなふうに大きなガラス窓で外の風景がよく見える。演奏が始まる前にスクリーンが降りてきて外は見えなくなったけど。このままの状態で行う演奏会もあるようです。

ほぼ完成

近くの団地建替工事。4棟(うち2棟はつながっている)ともほぼ外観は完成したようだ。この写真ではわかりにくいけど、側面にちょっとしたデザイン(ブルーや白、グレーの組み合わせ)がある。
これが立ちあがる前は池のそばのメタセコイアの木がよく見え、夕方はオレンジの夕焼けをバックに黒いシルエットが浮かび上がったりしていい感じだったけど、すっかり隠されてしまったなあ。

かりんの木?

駅前からちょっと歩いた交差点の角、ビュンビュン車が通る道路脇、歩道橋のそばによくわからない一角がある。なにがよくわからないかというと、何年か前、そこにけっこう大きな栗の木があって普通にイガに包まれた実がなっていたから。

いや、どんぐりじゃないですよ、ふつうの栗。
「こんなとこに栗の木? なんで?」と思ってしまう。気が付いたのはその歩道橋を歩いていた時。で、歩道橋を降りてそばに行ったらよく見えるかというと、その一角はいろんな木が生えてて、そこにやクズがむちゃくちゃからみついてる、要するに放置された空間なので降りるとどこだったのかわからなくなる感じ。でも、歩道橋からはよく見える。
実がなってはいるけど、だれも知らん顔だ。「あ、栗だ」とかいう人もいない。別に栗の実がなっててもどうってことないか。そうかもな。びっくりするのは私くらいか。そうかもな。

その歩道橋はたまにしか通らないので忘れてたが、それから何年かたった冬のある日。歩道橋のそばにカリンの木があることに気がついた。
カリンですよ、カリン。割と珍しい木だと思うんですが、そんなことないですか。何をいちいちびっくりしてるんだって? そうですよね。

そのときは冬で、カリンの実はほとんど地面に落ちて、1個だけ枝に残っていた。
で、そのことを思い出して歩道橋に行ってみた。
すると、ねらい通り、カリンの実がいっぱいなってるところを見ることができたのだ。これ、カリンですよね?

(追記・カリンによく似た木にマルメロがあった! ひょっとしてマルメロ? 実の表面がつるつるしてて、葉の縁がぎざぎざしてるのはカリンだとか。とするとやはりカリンかな?)

なかなかすてきだ。西洋の名画に出てきそうな果物。クラナハの絵に出てくる美女が手のひらに乗せ、きゃしゃな白い指先で愛でてたりしそうだ。

しかし、このブロックはやはりこれでもかというくらいいろんな木が縄張りをめぐってけんかしてるみたいに茂っていて収拾がつかない様相。写真でも、カリンの枝がにゅーっと出てるけど、どこから出てるんだかわからない。カリンの木は幹に特徴があるそうなので見たかったが、幹がどこにあるのか全然わからない。下の方はわりとすかすかしてそうなのだが、そこはフェンスで隔てられてて入っていけない。いや、入ってもいいですよと言われてもなんだか不気味で断ると思う。

そして例の栗の木はどこだったかなと思って目で探すと、茶色く枯死した姿が。ああ、わずかに残ったイガがむなしい。
とにかく、よくわからない不思議な一角なのだ。

映画観てきた

「ブレット・トレイン」観てきた。伊坂幸太郎の「マリア・ビートル」が原作とのこと。私はそれは読んでないけど、「ゴールデンスランバー」を読んだときは「これ、映画みたい」と思った記憶がある。なので、ハリウッド映画に伊坂作品というのはありうるなと思った。
といっても「ブレット・トレイン」が原作にどこまで忠実かはわからない。いや、たぶん、だいぶ違う。今日の印象では、映画はかなりタランティーノ風。新幹線を舞台にばんばん人が殺されて真っ赤っかの血まみれになるし、えぐい描写も多い。たぶん、原作はそうじゃない。知らんけど。

タランティーノ風というよりは「KILL BILL」風か。「時には母のない子のように」とか「上を向いて歩こう」といった日本語の歌(いずれもカバー)が突然流れたりするし。でもって、KILL BILLよりもっとふざけた、笑かす感じ。あまりにもどんどん人が殺されるので怖くも恐ろしくもない。ふーんという感じ。最初からずっとテンション高い状態が続くので、途中でちょっと飽きてくるかも。もう少し短くしたほうが私的には好み。でも、映像的にはなかなかキレが良く、おもしろい。爆走する新幹線車両の外で腕だけでつながってる必死のシーン(そして無事に戻る)はハリウッド映画あるあるで「またかい」「わかったわかった」だけど。

「ブレットトレイン」はもちろん日本の新幹線がモデルだけど、日本の新幹線であって日本の新幹線でない、どこか平行世界の新幹線。ハリウッドが描く日本としてすでに確立された混沌の世界、たぶん。「?」と思うところはいろいろあってもそれ今更言う?な感じで。
日本人役の俳優たちの日本語セリフがちょっと不自然だったのは気になった。冒頭の真田広之のセリフとか。あれでは感情をこめるのがむずかしかっただろうと思う。「みかんとレモン」コンビはよかった。

ブラピも老けたけど、まあいい感じになってた、かな。

今日はのんびりする

関わっていた仕事が少し前に一段落して、次の仕事・・・を急がねばならない時期・・・までまだ少し間があるので今日はのんびりするのだ。

一段落した仕事のうちのひとつはあるコンサートの関係で、私はチラシやチケット、プログラムのデザインを担当したのだが、無事に終わり、先週の土曜日にそのコンサートがあった。コンサートは大成功といってよいかたちで終わり、私も気分良かった。指揮者がなかなか巧みで、ああコンサートの指揮者って演奏家をまとめるだけでなく会場全体の空気をつくり、まとめあげていく人なんだなーと納得できた。
コロナのせいで本当なら一昨年に行われるはずだった演奏会。2年に1回のペースだったのが、まる4年おいての演奏会となった。補助席まで出る盛況ぶりだったのは演奏する側だけでなくお客さんのほうも待ちこがれていたということになるのかも。ほんとにコロナの影響は大きいよね。まちの文化をどう思ってるんだ。しまいに怒るぞ。

もうひとつはある本の制作に関わらせてもらったこと。慣れないアプリを使ってのことで、ひやひやものだったけど、ちょっといけそうな感触がつかめた。その道のプロにとってはどうってことないだろうけど、人類にとって、じゃない私にとっては大きな一歩なのだ。ふふ。

今日は雨も降ってるし、寒いというほどでもないけど、急に気温が下がったもので外に出るにもなにを着ていけばいいんだと悩むし、買い物もいかなかった。
いつもこういうとき、「去年のいまごろ何着てたっけ?」と思う。そして引き出しの奥を探って「あ、そうか」と思う。来シーズンは絶対こんなもの着ないぞ、今シーズン限りだぞ、と思ってたやつ。
とりあえずそれを着るとまた今シーズンもそれで間に合わせてしまう予感・・・。

写真は仕事の関係で使った阪急春日野道駅で。ホームの狭さで中津駅と並んで有名な駅。ホームからそのままの幅で続く階段(確かに狭い)と、改札。にぎやかな街中の駅なのにえらくかわいらしい、小さな改札だ。
バリアフリー工事が始まっていて、工事が終わったあかつきにはホームドアも設置されるらしいので、そうなったら安心だね、狭くても(狭い狭いいうな!)。