セーヌ川の大きな顔

パリオリンピックの開会式。スタジアムではなくセーヌ川を舞台にする、と聞いたときから、おそらく散漫な感じになるだろうと思ってた。船で入場って船渡御やん。でも、狭苦しい大阪の、にぎやかなお囃子が絶えず流れる大川と違っておフランスのセーヌ川だし、と。案の定、テレビ番組としての開会式は退屈そのものだった。つくりこんだ映像と現地がいつの間にかつながったりする演出もあまり好きじゃないが、でも、これは好みによるか。
「途中で寝てしまった」という正直な声もSNSには散見されたが、最初から最後まで目を離さず見ていたのは極々少数派だったのでは。私も最初から録画と決めて翌日「ながら視聴」をした。そんなわけであんまり熱心な視聴者じゃないけど、それなりに感心するところはけっこうあった。基本的に開会式ファンなんで。

印象に残ったのはセーヌ川にあごが水没しているいくつもの大きな顔。名画から抜け出たような人物の顔が並んでいるのはシュールとしかいいようがない光景だ。しかもその目が(私は気づかなかったが)動いていた、とSNSで読んだ。芸が細かい。

かなり大きいことがわかる。


棒の先で踊る人々も同じくシュールな眺めだった。まるで串カツみたいに棒(といっていいのかどうかわからない)の先に固定された人間がいて、それがゆらゆらと揺れる、いや踊っている。どうなってんの。相当な高さであると思えるが、だいじょうぶなのか。1人2人ならわかるが、かなりの数。雨模様の鈍色の空と相まって悪い夢でもみているような気がした。
川沿いに繰り広げられるそんなパフォーマンスの数々を見ているうちになんとなく寺山修司を思い出したが、これはもちろん、寺山が彼の地の演劇や大道芸に影響されたということなのだろう。


中には「最後の晩餐」のパロディのような、クレームがついたらしいパフォーマンスもあったり、フランス革命に材をとったかなりホラーな演出があったり、いやあ、なかなかよくやるもんだなと感心した。とりあえずやってみようよ、これおもしろいから! クレームついてもいいから!て感じだろうか。いいなあ。うらやましい。どっかの国みたいに、いつまでも過去の検証さえせず、とりあえず無難なことしかできない、そしてかげでは賄賂が飛び交う一方で肝心のところには「コンパクト」「節約」を名目にお金をケチって(国民もそういうところにはすぐ賛成する。なんでもかんでももったいないとか安い方がいいというもんでもないと思うのだが)結局しょぼいものしかできない惨状を思うとため息しか出ないわ。
結果、パリオリンピックの開会式、嫌いじゃないです〜。

あ、それとバッハ会長の挨拶、いつもながら長いぞ。コンパクト挨拶にしてほしい。

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