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かりんの木?

駅前からちょっと歩いた交差点の角、ビュンビュン車が通る道路脇、歩道橋のそばによくわからない一角がある。なにがよくわからないかというと、何年か前、そこにけっこう大きな栗の木があって普通にイガに包まれた実がなっていたから。

いや、どんぐりじゃないですよ、ふつうの栗。
「こんなとこに栗の木? なんで?」と思ってしまう。気が付いたのはその歩道橋を歩いていた時。で、歩道橋を降りてそばに行ったらよく見えるかというと、その一角はいろんな木が生えてて、そこにやクズがむちゃくちゃからみついてる、要するに放置された空間なので降りるとどこだったのかわからなくなる感じ。でも、歩道橋からはよく見える。
実がなってはいるけど、だれも知らん顔だ。「あ、栗だ」とかいう人もいない。別に栗の実がなっててもどうってことないか。そうかもな。びっくりするのは私くらいか。そうかもな。

その歩道橋はたまにしか通らないので忘れてたが、それから何年かたった冬のある日。歩道橋のそばにカリンの木があることに気がついた。
カリンですよ、カリン。割と珍しい木だと思うんですが、そんなことないですか。何をいちいちびっくりしてるんだって? そうですよね。

そのときは冬で、カリンの実はほとんど地面に落ちて、1個だけ枝に残っていた。
で、そのことを思い出して歩道橋に行ってみた。
すると、ねらい通り、カリンの実がいっぱいなってるところを見ることができたのだ。これ、カリンですよね?

(追記・カリンによく似た木にマルメロがあった! ひょっとしてマルメロ? 実の表面がつるつるしてて、葉の縁がぎざぎざしてるのはカリンだとか。とするとやはりカリンかな?)

なかなかすてきだ。西洋の名画に出てきそうな果物。クラナハの絵に出てくる美女が手のひらに乗せ、きゃしゃな白い指先で愛でてたりしそうだ。

しかし、このブロックはやはりこれでもかというくらいいろんな木が縄張りをめぐってけんかしてるみたいに茂っていて収拾がつかない様相。写真でも、カリンの枝がにゅーっと出てるけど、どこから出てるんだかわからない。カリンの木は幹に特徴があるそうなので見たかったが、幹がどこにあるのか全然わからない。下の方はわりとすかすかしてそうなのだが、そこはフェンスで隔てられてて入っていけない。いや、入ってもいいですよと言われてもなんだか不気味で断ると思う。

そして例の栗の木はどこだったかなと思って目で探すと、茶色く枯死した姿が。ああ、わずかに残ったイガがむなしい。
とにかく、よくわからない不思議な一角なのだ。

disられる朝ドラ

朝ドラの「ちむどんどん」がネットでむちゃくちゃdisられていて、Twitterでそれを読むたびほとんど感心して、もはや楽しみにしている私である。なんだそれ。

私は別に批判するほどでもなく、かといって賞賛する気もなく、え、いつものつまらない東京制作の朝ドラじゃない?と思うだけだ。主人公が明るく前向きで、地方出身だけど結局東京に出て行ってなんだかんだする、一極集中を煽るドラマだよね、という。何を今さら。まだ「エール」「なつぞら」「おかえりモネ」「まれ」よりましだろと。

「ちむ」がdisられるのは「カムカム」が評判良かったのでその反動もあると思う。「伏線回収」されないことに苛立つ声が多いのは「カムカム」の副作用かも。視聴者、気が短すぎ。始まってあっという間に「伏線回収」されたり(それはもはや伏線ではないのでは)謎が解き明かされたりするもんじゃないだろう。半年間のドラマなんだし。

もちろん、「カムカム」も面白かったけど不満足な点はある。「おいしいものを食べるときはみんな笑顔になる」とかいうセリフが何度も出てくるところとか。意地でも怖い顔して食べたるわ!という気持ちになったけど私がやらなくても「こわもての田中」がやってくれてたっけ。

でも、「ちむ」の時代考証が甘すぎるという声の中には「へー」「なるほど」と思えるものも多い。
新聞社編で「あの頃の職場にしては誰もタバコを吸わないのが不自然」とあったので、それは確かに!と思った。
かつてはどこの職場でもタバコの煙もうもうで、毎朝吸い殻の溜まったおっさんたちの灰皿を片付けて回るのが女たちの仕事だったりした。ひどい時代だ。一時期アルバイトしていた職場は「密」もいいとこで机をぎっしり詰めこみ、その人たちがモクモク煙吐くもんで、リースの観葉植物も枯れてしまい、業者が取り替えに来て「ここはタバコがひどい・・・」と小声でぼやいていた記憶がある。あれ?・・・私も「モクモク」してた一人だったっけ?

ジローラモ扮する料理人をインタビューするシーンで撮影係がやたらお手軽に撮影してるなとは思ったが、目ざとく機種を特定、「昭和48年の一流紙の新聞記者が取材にアサヒペンタックスSP使うか? ニコンFかF2ぐらい用意したれよ」とあったので「ほ〜」と思った。しかも、フィルムを入れずに巻き上げるポーズをしてたことも分かったようなので、カメラファンさすがや。

あと、何度も問題視されているのが「借金はどうなったんだ」「借金があるのに、この家族の考えはおかしい」というもので、確かにちょっと甘いかなと思うことはあるけど、あまりにもこの問題がしつこく言われるので、だんだんと、これって生活保護受給者に厳しい風潮と同じじゃないか思えるようになってきた。貧乏人は貧乏人らしくしてろよ、みたいな・・・。

この当時は高度成長の時代だ。物価も上がったけど、給料もどんどん上がって、今後も上がると思えたから「庶民でも頭金だけ用意すれば借金しても家が買える。月々の返済はどんどん楽になるから」とみんな考えるようになってきた時代。預貯金の利率も良かったし、今より社会全般が楽観的で明るかった時代。そして、今よりは気軽に、(沖縄でなくても)お金を融通し合えた時代だったんじゃないかな・・・借金しても後々なんとかなった時代なんじゃないかな・・・と思う。そういったことは親から聞いた話でうかがい知ることができて、推測してるだけで、私は家計を管理する立場でなかったから詳しくはわからないけど。

まあ、もっと気楽に見ればいいんじゃないかな?

写真は母校の庭にあったユーカリの木。葉っぱが丸くてきれいな色(銀色っぽい)で、なんの木かと思ったらどうもユーカリらしい。ユーカリにはとてもたくさんの種類があって、コアラの好きなのはもっと細長い葉のユーカリらしいんだけどね。

ひと月遅れの写真

ここ二三日、なぜか朝の8時〜9時頃に目が覚めるということが続いている。3時半頃に布団に入って、少しだけスマホでSNSとか見てるうちに「ああ、もうだめ」て感じでぱたっと入眠。10時過ぎまで爆睡という日が続いていて「その歳でよくそんなに寝られるわね」と、さんざん周りから言われてた私が。

でも原因はわかっている。仕事が一段落して、まだしなければならないことはいくつもあるんだけど、ちょっとひとやすみしたくて、あせりつつのんびりしている。すると単純なもので体がそんなに疲れていないので早く目が覚めるのだと思う。
あと、だいたい夏になると早く目が覚めるようになる。毎年。まだ夏の日差しではないんだけど、少しずつ朝日の威力が増している今日この頃なんで。いやだなあ。

というわけで、ひと月以上前に撮ったままでそのままほったらかしになっていた植物の写真をまとめて。
忙しい時でも気分転換したくて買い物ついでに公園に寄ったりする。で、写真を撮る。でも、整理する時間がないんだよね・・・。もう今頃はこの写真の花たちは役目を果たしてしぼんだり落ちてしまったりしてると思うけど(ごめんね)(別に謝ることないか)(おまえのブログに載せてほしくなんかねーよ、てか)。

上から順にハナミズキ、シャガ、藤、最後はムラサキサギゴケ・・・かな?
どれもO公園にて。時々しか行かないので、行くとその都度、前回にはなかった(気づかなかった?)花たちに出会う。
ハナミズキは周りが薄暗い、あまり人の行かない公園の片隅で、ハッとするような気高い感じで咲いていた。ハナミズキはやっぱり白に限る!と思った。割と大きな立派な木だけど、この写真ではそんな感じは伝わらないよね。
シャガはちょっとした群落になっていたので、前からあったんだろうな。その季節に行かなかったから気づかなかったと思う。
藤の花も、ここの藤棚は白と紫があるようで、以前行った時は白だけで、あまり見栄えがしなかった。白と紫では開花時期が違うのだろう。
カーペットを広げたように咲き誇っていたムラサキサギゴケの群落も今までなかったように思うけど、わからない。草たちの興亡は激しいからなあ。


御衣黄

1週間くらい前、御衣黄(ぎょいこう)を撮ってきた。緑色の桜で、珍しい品種ではあるが、珍しい品種としてはありふれているかもしれない。「ぎょいこう」と入力すれば変換候補に上がってくるし。インスタでは「#御衣黄」「#御衣黄桜」といったタグが何種類もあるし。わが街にも何箇所かで植えられていて、その内の1箇所。

しかも、そこは昔私が住んでいた団地のすぐそばでもある。あの団地を遠目に見るとなんだか胸がキュッとなるのだけどね。昔々、私とまあちゃんが住んでいました。という気持ちになるから。

まあそれはいいとして。時期的にはちょうどよかったみたい。前に一度行った時は少し遅かったけど、リベンジができた。

御衣黄は、最初はこんな風に本当に緑色一色。

ところが、だんだん赤いラインが出てくる。
これくらいの時が一番きれいかな。次第に花びらの緑色がさめて、黄色味が勝ってくるみたい。

それにしても、本当に緑色。野菜みたい。
珍しい桜といっても、ぱっと見、花が咲いてるように見えないせいか、歩いている人も全く無視状態。(何撮ってるんやろ、このおばはん、じゃまやなあ)とでも言いたげな視線。
「あら、これが御衣黄?」「へー!」とか注目してもらったら御衣黄もうれしいんじゃないかと思うけど(本人に確認したわけではありません)。

年末のバタバタ

年賀状を書こうとして、私の場合は毎年下手くそなまんがを描いてるわけだが、そのまんがを描こうとしてペンタブを取り、ペンを・・・と思ったら、ない。パソコンの周りは思い切り散らかってるが、とにかくその近辺にあるはず。でも、それがどう探してもない。
世間ではよく、探し物がとんでもないところから発見されたという話を聞く。冷蔵庫にメガネがあったとかバッグの中から電話の子機が出てきたとか。思い込みは禁物だ。だから私ももちろん探しましたとも。冷蔵庫に本棚、引き出しは当然チェック。洗濯物入れの脱いだ下着をかき回してもみたけど、やっぱりない。

あきらめてヨドバシのネットショップで注文。ひょっこり出てくる可能性はあるが、それまで年賀状を書かないと言うわけにもいかず、そもそもその時点で12月28日だよ!

注文したのはいいが、届くのは31日になりそうだとわかった。うーん。うーん・・・
しばし悩んで、「店舗で受け取り」することにした。

で、昨日の午前中に梅田のヨドバシへ。毎日家の近所のスーパーとかその近辺ばかりうろうろしてるので、たまには電車に乗って花の梅田に出かけてもいいじゃないか!と、本当に行って、ペンを一本受け取って、また帰ってきた。われながらぜいたくなことをするもんだ。

開店前のヨドバシに行って注文した品物を受け取るというのは初めて。24時間対応ということだから、家がもっと近ければもっと早い時間に受け取ることもできるわけだ。
専用の窓口があり、そこで注文番号を告げる。実際にはiPhoneの画面を見せたわけだが、スタッフの早いこと。斜め前からチラと画面を見ただけでさささっと番号を入力する。すごい、と単純に感心する。

もし、私くらいのおばちゃん(おっちゃんでも可)スタッフなら「えーと、ちょっと待ってください。2、3、えっと・・・すんません、画面、こっち向けてもらえます? あ、はい、えっと・・・あ、間違うた。すんませんね。目が悪うて、いや、もう」とかなんとか、ものすごい時間かかりそう。それが一瞬ですから、ああ、若いってなんて素晴らしいんだ・・・。私が雇用主でも絶対若い人雇うわ・・・何が悲しくて中高年を・・・いや、もちろん、年を重ねた人間にしかできないこともあるはずだと、思いたい。思いたいけど、あったかなあ。多分・・・あるよね・・・何かあるよね!(心細い)

まあそんなわけで昨日、帰ってから慌ててそのペンを使って年賀状のまんがを描き、めでたく今日、投函してきました。12月30日。そうか。今年は12月30日。まあペンが行方不明になるという想定外のこともあったし、仕方ないな。で、去年は何日に投函したっけ・・・と思って日記を繰ってみたら、やはり12月30日じゃないか! なんだそれ!

写真は近所のメタセコイヤ。

メタセコイア2021

おととし、二駅向こうの公園でメタセコイアの写真を撮って、ブログにも一部を載せたけど、あの時は体調悪くてさんざんだった。昨日、近所のメタセコイアを撮ったけど、そんなことを思い出して、元気なうちにいろいろしておかないとなーと改めて思った。で、わざわざタイトルに「2021」とつけた。

タイトルで思い出したが、デジクリの編集長によく「タイトルが短すぎる」と言われ、再考を要求されたことが何度もあった。デジクリではコラム的なものが主流なので、それが普通なのだろう。例えばこの文章のタイトルに「2年ぶりにメタセコイアを撮ってきた」とか「メタセコイアがかっこいいわけ」とか「メタセコイアと『めちゃせこいわ』の関係を探る」とかするような感じ。長い・短いではなく、タイトルをつけるときの考え方がすでに違うというか。
私はそっちから来たのじゃないので(て、どこからきたんだ)、一番短い時は「手」などという漢字でもカナでも1文字という短いタイトルで出したりしたもんだが、編集長からは「頑固だなあ」と言われたりした。私もだんだん折れて、長いタイトルにしていったが、そうなると中身も変わっていったような気がする。あ、こんなこと書くと長くなるしややこしくなるぞ。

それはさておき、メタセコイアは四季折々に美しい姿を見せてくれる。もう紅葉は終盤という感じだけど、葉がすっかりなくなって、すらっとした紡錘形の樹形がくっきりする冬も素敵。雪が降ればなお素敵なんだろうけど。

秋の公園

今日は午前中にとある会議があり、早起きして参加してきた。朝の9時半から会議って私に言わせれば正気の沙汰ではないんだけど。
終わってから公園に。今年は変なお天気で木や草もどうしていいかわからなくて苦労したと思うが、なんとか例年通り紅葉していた。

木もいいけど、これからは枯れ草のシーズンだ! と喜んでいるのは私だけか。

これはクズ?じゃないのか。こんなに完璧にクルクルの、ばねみたいなやつでからみつくんだね・・・。


これは何だろう。
種に白い毛が生えていて(?)、ややこしくもにぎやかな形状を呈しております。

<追記>
わかった! センニンソウだ! 去年、センニンソウの花を撮ったが、この場所だったような気がする。そして・・・この白い髭があるから「仙人草」なのだそうだ。そうなのか!

これは木です。花の枯れたあと。だと思うけどよくわからない。

どっちもここからさらに枯れて、無彩色に近い感じになりそう。また気をつけて見てみよう。

とりあえず夕方、2時間ほど爆睡しました。

ヒガンバナ

ウォーキングがてらヒガンバナの写真でもと思って午後、出かけたが、早くもヒガンバナは盛りを過ぎて花弁の縁が白っぽくなってるものが多かった。アップで撮るのはためらわれたが、一応。なんとか、いけるかな。

でも、よく考えたらまだお彼岸の期間中だ。
今年は自粛して早めに切り上げることにした、なんてことないよね。

たぶんトネリコ

駅前広場が数年前にリニューアルして以来、なんとなく姿の良い木が何本か植わっていて、ふむふむ、まあ悪くないわいと思っていた。
ところが、おととい通りかかったら、その木に花が咲いているではないか。しかも、白いのとピンクのとがある。紙で作ったふさをいくつもつけたみたいで、思わず見とれた。まさか花が咲くとは。

それではじめて「この木はなんだ」と思い、ネットで調べたら、どうもトネリコらしい。
トネリコ! 名前は知ってた。ていうか、よく小説に出てくるような気がするけど、実物ははじめて見た。

小説、特に翻訳小説を読んでいると、よく木の名前が出てくる。よく知らない名前も多いけど、それがかえって、ある種の憧れをかきたてることがある。トネリコもその1つで、なんだかかわいい、ファンタジックな名前に思える。

ところがWikiによると「和名の由来は、本種の樹皮に付着しているイボタロウムシが分泌する蝋物質(イボタロウ:いぼた蝋)にあり、動きの悪くなった敷居の溝にこの白蝋を塗って滑りを良くすることから「戸に塗る木(ト-ニ-ヌル-キ)」とされたのが、やがて転訛して「トネリコ」と発音されるようになったものと考えられている。」だそうだ。

若干がっかり。だいたい「日本原産種」だそうだ。翻訳小説と関係なかったわ。

しかし、他にもあるもんね。例えば、ハシバミとか、コケモモとかクロスグリとか。なんの小説に出てきたのか覚えてないけど。
で、「スグリ」を検索したら「村主章枝」が出てきて困った。村主さん、最近見ないけど、元気にいろいろ活動しているようだ。もう40歳なんだ(←困ったといいながら記事を読んでる)。

7月2日

今日、7月2日はまあちゃんの誕生日。
ゆうべ、「明日は誕生日だな」と思いながら寝たせいか、夢に出てきてくれた。
いつも夢に出てきても黙っていることが多いのに、今朝は普通にしゃべってた(内容はヒミツ)。
しかも、黒のポロシャツを着てた。

まあちゃんは自分で服を買うことはなくていつも私が買っていた。でも、黒のポロシャツは買ったことがない。紺色はあったけど。

自分で買えるようになったのか。
それとも、彼女でもできたのか(おいっ!)
どっちにしても向こうで楽しくやっているようだ。
まあ、よかった。


写真はブロッコリです。え、どう見るの?と言われそうだけど。