月別アーカイブ: 2013年3月

スズメノヤリ

図書館で借りた「ソロモンの偽証(1)」はなんとか期限内に読み終えたが、予約の順番を見ると(2)が来るまでどう計算しても数ヶ月かかる(がーん)。それまで話を覚えてられるだろうか私(無理)。しかも、(2)と(3)の順番が接近している。最悪な場合、(3)が先に来たりして・・・ああスリル満点。

雑用に追われて土曜日も日曜日もどこにも行けず。せめては近所をうろうろしてちひさき草たちを撮らむ。

これはスズメノヤリ。なんでそんな名前なのか、今までわからなかったが、こっち側から見れば・・・確かにヤリをかついでいるよ、この子たち!

というのが昨日の収穫だ。

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春の駅 その2

この場所のもう少し左、室外機がたくさん並んでいるところは以前(前のブログで)撮ってアップしたことがある。今回は右のほうの階段を入れて撮ってみた。右の方は屋根がないので明るいんだよね。

図書館で借りた本が、そろそろピッチを上げて読まないとやばそうなので今日は外出やめよかな、どうしよかなと迷い中。

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泣く少年たち

卒業式シーズンだ。
今日はKaさんが午前中、息子(小6)の卒業式に出席して、午後出社した。そして言うことが「男の子がめっちゃ泣くんでびっくりしたわ〜!」。
一人やふたりじゃない、泣く男の子続出だったそうな。「へー」「そうなんだ」と感心していると、そのあとKuさんがやってきた。そして「昨日、娘の中学校の卒業式やってんけど、男の子がものすごい泣くんでびっくりしたわ!」

え! まったく同じこと言ってる?!
小学校でも中学校でも男子泣きまくり!
どんな感じで?と聞くとKuさんが詳細にわたって説明してくれたが、要するに「ちょっと涙ぐむ」なんてものではなく、「嗚咽」「しゃくりあげる」「号泣」といった言葉がふさわしいレベルだったらしい。何なのだこれは。いま、この国で何が起こっている!

まあ、最近の卒業式は演出が凝っているということもあるかもしれない。ひとりひとりにセリフを与えて6年間の思い出を語るとか、みんなで先生に「ありがとう!」を言うとか、各自が親にあてた手紙をそっと会場に置いておくとか、「泣かせる」工夫盛りだくさんらしい。昔みたいに送辞を読んで、答辞を読んで、退屈な来賓あいさつがあって記念品贈呈があって、歌う歌はなんだかよくわからん「あおげばとうとし」「ほたるの光」というパターンなら「どこが泣けるねんこんなもん」だけど、そうではないのだ今は。

いや、とはいっても、そういう演出になったのはここ数年・・・ではないし。現役お母さんのKaさんとKuさんの「驚き」は変化が突然だったことを物語っている。なんだろう。

でも、卒業式で泣けるのは楽しい学校生活を送って来られた証拠。よかったと思うべきだろう。それでも私なら泣かないだろうと思うけどね(へそまがり)。

「花は咲く」

おとといの新聞で、宗教人類学者の山形孝夫氏がこの歌の歌詞について書いていた。
私はこの歌についてはテレビで西田敏行とかいろんな人が1本のガーベラを手にして「花は花は〜」と歌ってるシーンを何回かみただけだ。メロディもその部分だけは覚えているが、それより見るたびに「なんでガーベラなんか手にしているんだろう? 野の花のほうがいいんじゃないの?」とかいらぬことを思ったりするばかりで、歌詞はほとんど知らなかった。
山形氏の文章によればこの歌は「死と生に引き裂かれた愛し合うふたりの噴きこぼれるような悲しみの歌」であり、リフレインの部分「花は花は、花は咲く、わたしは何を残しただろう」と歌っているのは「死者」だという(追記:氏の文章はここから、死者というものに対するイメージの変化などにも言及するもの)。
え、そんな歌詞だっけ。
あらためてネットで歌詞を調べ、通して読めば、なんともこれは、シビアでハードな詩だ。ことばはやさしいけど。そして、とても美しいけど。むむむ・・・。

この詞を書いたのは岩井俊二と知ってまたびっくり。岩井俊二といえば観に行って思い切り退屈だった映画「スワロウテイル」しか知らなかったので(すみません)。

しかし、詩という型式がうらやましい。暗唱され、歌われる、詩という型式が。