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また映画観てきた

昨日は難波で「落下の解剖学」を観てきた。かっこいいタイトルだな〜と、初めて目にしたときに思って、これは絶対観に行こうと思った。タイトルって大事だ(笑)

で、観終わって思うのは、これはやはり落下の解剖学だなと。つまり、わりと直接に落下の解剖学であって、それほど捻ったタイトルではなかったのだなということだ。
 ミステリータッチで「落下」の周囲にあるものが少しずつ明るみに出されるその過程がなかなかおもしろく、飽きさせない。
とはいっても、いま思うとなぜか印象薄い。なぜだろう。謎解きの部分はおもしろいんだけど。

犬が重大な役割を担っていて、ちょっと心配させられるシーンがあった。
あと、大音量の音楽というのは時に不吉な感じがするものだと思った。てか、怖い。

といいながら何これ、全然映画と関係ないじゃないですか、こんな絵。

映画観てきた

昨日は「カムイのうた」を観てきた。日本映画があまり好きじゃないと日頃言ってる私だが、これはよかった。テーマがはっきりしていて直球である。セリフも強い。映像も美しい。企画・撮影に東川町(旭川から近い、美瑛町と接する町。「写真の町」がキャッチコピーになっているらしい)が関わっているということで、まさに「大自然」というワードが自然に浮かび上がる壮大で思わずひれ伏したくなる風景が随所に挿入される。音楽も効果的で見ていて飽きない、というか映像によって語られる部分が大きいと感じた。

主人公は映画では「北里テル」となっているが、もちろん知里幸恵がモデルである。
去年、新版が出た「アイヌ神謡集」もこれを機会に読んでみた。もともと民話とか説話が好きだけど、いままで読まずにきた。反省。大事な一冊になりそうだ。

映画では島田歌穂がユーカラを歌っていて、さすがにうまいなと思う。でも、もっと素朴な味わいで、単調にみえてどんどんその世界にひきこまれるような、こういうのも素敵(下のリンク)。子守唄ですね。なんとなくじーん、とくるのは子守唄を歌ってもらった自分の幼い時(覚えてないけど)を思うからだろうか。時々、夜中に聴いたりしているのです。

また映画観てきた

昨日、「福田村事件」を観てきた。関東大震災直後、朝鮮人が襲ってくるとか井戸に毒を入れたとかのデマがひろがり、多くの朝鮮人が、また共産主義者が虐殺されるという事態となった。そのことは震災から100年の今年、改めてあちこちで語られている。福田村事件はそんな中で朝鮮人だと間違われた薬の行商人たち一行が村人たちに襲われ、妊婦を含め9人が殺害されたという実際にあった事件。それが映画になった。日本映画が苦手な私だが、やっぱり観ておかないといけないのではと思い、行った。

行ってみてどうだったかというと・・・正直、かなりものたりなかった。

震災時の朝鮮人虐殺という事実について「政府内に資料がない」と官房長官が言う現状についてはまったく酷い話だと思う。こういう現状であるから、この映画が作られた意義は大きいと思う。だから私も行ったわけだけど。
恥ずかしながら私もこの事件について最近まで知らなかった、と思う。聞いたことあったかも・・・なので、たぶん、今年になってから知ったのじゃないかと思う(そんなことも覚えていないのかといわれそうです。すいません)。ネットなどでおおざっぱな知識は得たが、まだまだわかっていないという自覚はある。それだけに映画には期待するところもあったけど、いまいちぴんと来なかった。

知識を得るならネットを入り口として文献でしらべることができるだろう。監督の森達也は公開前にテレビに出演して説明もしていた。でも、そういう単なる「説明」じゃなく、自分ごととして感じたかったのかな私は、と思う。

映画にはさまざまな人たちが登場して、狭い村の中の複雑な人間関係が描かれる。夫が戦死した妻、その恋人、村長、朝鮮から帰ってきた元教師夫妻。そして自由に記事が書けないストレスを抱える新聞記者など。それらを俯瞰するように、群像劇として映画は進む。事件の背景、時代状況、朝鮮人と自分達はどっちが下かと行商人の子供が問う差別の問題。それらをていねいに、まじめに描いていることになるかと思うけど、困ったのはその中のだれにも、私は感情移入できなかったことだ。年とともに涙もろくなっている私なのに、まったく涙もわいてこなかった。なんですか・・・うーん、拡散してるような、感じかな。切実さが、足りない、ような。
もっと、だれかひとりにぐっと近づいて、その葛藤にとことん焦点を置くという方法もあったと思うのだが。
それまで人を殺したことのない一般人がよってたかって何人もの人を殺す異常な状況である。それは集団だからできたのか(たぶん)。日常から異常へはほんの一足なのか(たぶん)。なんでそんなことになってしまったのか。全員何も思わなかったはずはないけど、どうなんだ。100年前に済んだことなのに、もやもやする。

「いや、だからああやって説明してるでしょ、そういう時代だったんですよ。あなた映画見てなかったんですか」といわれるだろうか。
私は「説明」を超えたものが見たい。人間というものの愚かさ、恐ろしさをもっと感じたい。そして記憶したい。映画なんだもの。

大阪では現在、6館で上映中。どこで観ようかと思ったが、ひさしぶりにシネ・ヌーヴォに行ってきた。映画が終わった時には小雨が降っていた。

映画観てきた

3日前に映画観てきた。「アステロイド・シティ」。
ちょっと変わった映画をいつもつくっているウェス・アンダーソンの最新作とか。

今回も凝ったつくりである。1955年を舞台とするお話(これがまるでサーティワンのアイスクリームのような色彩のアステロイド・シティ)と、その作者たちが登場する物語外の世界(これはこれでつくりものっぽいモノクロの世界)とが交互に登場、と思ったらいつのまにか行き来できてたりする。

3人の女の子たちがとてもかわいい。ダンスする鳥(何て鳥なのかな)もかわいいし、宇宙人もかわいくておかしい。楽しいなあ。なんでもいいから延々と続けてほしいもんだ。と言いながら、途中一瞬、「長いまばたき」をしてしまった。わー、やっぱりやってしまったというのが感想だ。なぜって、最近の私は毎日夕方、ものすごく眠くなって、ふと気づくとパソコンの前で船を漕いでたりするのだが、その現象が起きるのがだいたい6時半〜7時ごろなのだ。映画は6時5分からだった。なんとなくいやな予感はしたのだが・・・。まあそれ以降はうそのように目がさえるんだけどね。夜中の3時ごろまで。

映画のあと、駅前のイオンに寄った。隣の駅とはいえめったに来ないし、じっくり見たことなかったけど、やっぱりいつも行く近所のスーパーより広い〜。それでつい写真を撮ってしまった。時間帯によるのだろうけど、店の広さに比べて人が少ないし、冷凍食品のコーナーは若干照明が落とされていて、なんだか不思議な空間ぽくなってないですか。

でもあんまり広くてわけわかんなくなって、結局買ったのはコロッケ2個入りとネギ塩チキンだけだった(どちらも値引きシール貼ったやつ)。
それを下げて帰りながら、やっぱり狭苦しく、ごちゃごちゃしててBGMがやかましく、レジのおばちゃんが時には「玉ねぎの詰め放題、こんだけ? もっと入れといで」と言ったりする店のほうが私にはお似合いなのかなと思ったのであった。

日曜日に映画観てきた

台風のせいで月曜日からお天気が悪くなることがわかってたので、日曜日に映画に行ってきた。近所のシネコンにはしばらく行ってなかったので久しぶりに行くと駅前のシャトルバスの乗り場が移動してたりしてちょっと面食らった。

映画はもちろん(?)「バービー」。早く公開してくれないかなと思ってたので金曜日に公開されて、割とすぐに行った。よかった。やっぱりアメリカ映画、好きだよー!と思える作品。カラフルで楽しい。バービーの洋服がみんなかわいいし。ライアン・ゴズリング(ケン)も好きな俳優。

バービーたちの住む世界は女の子が主役。なのに、人間世界に行ってみたらそこはおっさんたちが牛耳る世界。(その世界がどんだけうんざりするかは知ってるもんね。)そして、バービーの世界に戻ってきたら、なんとケンたち男が支配する悪夢な世界になっていて、もともと大統領だったり研究者だったりした女の子たちがむずかしいこと考えず男に媚を売る仕事についてて、このほうが楽だからいいわ〜、なんて言ってる・・・みたいな、中身は超なまなましい、現実世界を皮肉ったもの。笑えるところもいっぱいで、拍手したくなったり、過去のいろいろを思い出して今更ながら怒りで震えたり涙がこぼれたり、まあそんな映画なのだ。
おすすめです(こんなこと書いたのは初めてかも?!)。そして、やっぱり憲法は大事にしないといけません!

で、台風7号はのろのろ進むもんで水曜日の今日になっても新幹線の運行に影響が出ているという状況だが、幸い我が家には被害はありませんでした。ただ、昨日ベランダに出てみたらおもいっきり汚いバスタオルらしき物体が室外機にひっかかってた。触れるのもいやなくらいだったけど、そのタオルはたぶん、どこかのベランダから強風で舞い上がり、泥の上に落下し、転がり、そしてまた舞いあげられて、と長い長い悲惨な旅をしてきたのだろう。お疲れさまでした。一瞬手を合わせ、その後処分させていただきました。

まあそれくらいが被害、ですかね。

映画観たけど

おとといだけど映画を観に行った。
しばらく観てないので何を観ればいいのかわからない。でも、何か観たい。
それで、難波で「怪物」を観ることにした。夕方一回きりの上映。もう上映終了が近いようだ。でも、どの回を観ればいいのかと迷う心配がない。早起きする必要もないし、帰りにスーパーに寄ってもめぼしいものはすべて売り切れという心配もない、絶妙な時間帯。

まあその点はよかったけど、肝心の映画。
やっぱり私の好みじゃなかった。

始まって割とすぐの、母親(安藤サクラ)が学校で校長(田中裕子)や担任に面談するシーンが「うーん」で、観にきたことを後悔した。校長については、最後までなんとなくひっかかったな・・・。ホルンを吹くシーンもどうなんだろう。

 いったい「怪物」とは何か。登場人物それぞれの視線を通した「怪物」探しの果てに、私たちは何を見るのか。──というのがキャッチコピーになってるけど、これは一種の誇大広告だと思った。

帰りに近くで少し写真を撮った。

映画その他ここ数日

ばたばたしていてブログ書けなかったのでまとめて。

9日は統一地方選挙だった。予想された結果。暗澹たる気分。

映画を観に行ったんだった。しかし印象薄い。
何を観たかというと「生きる LIVING」。黒澤の有名な、でも私は観ていないし観る気がしない映画「生きる」のリメイク。舞台は1950年代のロンドン、脚本はカズオ・イシグロ。映像はとてもすてき。(冒頭はまるでそのころのフィルム映像でどうなるかと思ったけど本編はふつうに美しい、現代の映像)でも、印象薄い。ものたりない。話が甘すぎるんじゃないか、と甘いお話が好きなヤマシタもつい言いたくなる。ああそうか。「美しくないもの」が映像からもお話からも除外されてるわけだ。

高校の同級生たちと会っておしゃべりした。さすが年取ったものだ・・・私が。
あのころみんな、世間のこと何も知らない高校生だったのに、みんな苦労したよね、と思ってジーン・・・となる自分にがっくりくる。まるでふつうのばあさんだ、これじゃ。そして「それで何が悪い」とたちまちつっこむもうひとりのばあさん、自分がいる。

ここ数日、頭が痛い。いや、これは比喩ではなくほんとに頭が痛い。バファリンのめばすぐ治る程度だけど。
病気になったとき「なんだかこのごろしんどいな」と思い始め、それがなかなか治らず、ひどくなる一方だった記憶があるので、体調がちょっと悪いだけで心配になるのだけど、今はたぶん疲れてるんだろうと思う。病気して以来、毎日体重と体温を測るのが習慣になってるけど別に熱も出ていないし。体重は、やっとダイエットの効果が出てきたかなというところ。

そうだ。しばらくぶりに難波で下車したら駅前が工事中で信号がなくなってて、そういえばここ、歩行者天国にするというニュースをだいぶ前に読んだなと思い出した。

というわけで、写真は難波の駅から少し歩いた「でんでんタウン」のとこの交差点。

映画観てきた

おととい、「フェイブルマンズ」を観てきた。恥ずかしながらスピルバーグ好きだから。はじめて「おもしろい!」と思った映画が「未知との遭遇」だったし。

え、それ以前はおもしろいと思わなかったの?と聞かれそうだけど、そうなのよ。「未知との遭遇」のとき、すでに子供でもなんでもなかったけど、そして私の若い頃は男の子とデートといえば、無難に「映画」だった(今はどうなんだろ?)のだけど、特に・・・あ、そうか。その場合はだいたい男子から「○○観に行かない?」と提案されて、なんとなく特に反対するでもなく一緒に観た、という感じだったと思う。主体性ないんです、私。スピルバーグがこの世にいなかったらずっと、そういう状態が続いていたかも。人に勧められて観て、まあこんなもんかな・・・よくわからんな・・・みたいな。

なので、スピルバーグといえば私の恩人。その、恩人のスピルバーグの作品を最近観ていなかったので寂しいと思ってたところなんである。

「フェイブルマンズ」はスピルバーグの自伝的な物語だそうだ。その通り、主人公が子供の頃に映画に魅せられ、自分で映画を作り始め、どんどんのめりこみ、一方で家庭でも学校でもいろいろあったけど、ついに念願の映画の道を本格的に歩み始めるというところまでが描かれる(荒っぽい紹介)。

映画にくわしい人はこういう映画を観たらたぶん、もう、いくらでも語り出すだろう。あの映画は、とか、あのシーンの意味は、とか。
正直私はそのへんはちゃんとわかってない。私的にはクローゼットでフィルムを見せられたママの表情が次第に変わり、やがてはらはらと涙するシーンがクライマックスだ。
バート(パパ)もベニー(パパの親友)も、そしてママもみんないい人で、魅力的で、それでもしんどいことは起きてしまうのだ。そしてママが言うように「起こったことにはすべて意味があるのだ」。

あ、下の絵は全然似てないですが、気にしないでください。

映画観てきた

昨日観たのは「小さき麦の花」。中国の映画だ。

中国の映画を見ていると、しばしば都会と農村の格差に驚く。この映画でもそうだ。いつの話だろうかと思っていると2011年である。確かに、都会に出ていくとそこは普通の現代の街だ。ただし、主人公はそこにロバを連れ、荷車に荷物を載せていくのだけど。こういうところがおもしろいと言うか、中国は不思議な空間である。

甘粛省の砂漠がすぐそばに広がっているようなところで農民として暮らすヨウティエが障害(足が不自由なだけでなく排尿障害がある。脊髄の障害なのか)のある内気な女性、クイインと結婚、ふたりで暮らし始める。土地を耕し、麦をまく。それだけではなく、土を練って型枠に入れ、表面をならして地面にひっくり返し、乾かす。レンガがそうやって2個ずつできる。日々それを繰り返し、レンガがどんどんできる。それを積み上げて家を作る。おお、家はこうやってできるんだ! 自分たちが住む家は自分たちで作るんだ! なんだか感動する。さらに、鶏を飼う。豚を飼う。麦だけでなくとうもろこしやジャガイモも収穫する。暮らしがだんだん安定してくる。
おー、すごいなあと思う。人間はこうやって生きてきたんだ。そして、夫婦というものはこのように2人でともに働き、支え合ってきたのだと思う。

ヨウティエはものすごい働き者だ。手際がすごいなと思ってたら演ずるのは本職の農民で監督の叔父さんにあたる人だそうだ。プロの俳優ではないが、すでに何度か映画に出演しているとか。

家をつくる途中、屋根の樋にガラス瓶を埋め込む。なんでそんなことをするのかよくわかってないのだけど、夜に風が吹くとそのガラス瓶が歌うように鳴る。
「前の家よりいい音で鳴る」と妻のクイインがうれしそうに言う。そうなんだ。自分たちの家だもんな。

2人は見合い結婚で、特に感動もなく一緒になったように見えた。だが、実際は会ったときにすでに感じるものがあったようだ。互いの優しさ、誠実さに。そしてゆっくり、ゆっくりと日々を重ねているうちに愛が深まってゆく。このあたりが丁寧に丁寧に描かれ、見ているうちに涙があふれる。愛する人とともに生きることほど幸福なことはない。そう強く思うから、でも一方で、こんな幸福は長くは続かないのではないかという予感がして。そして、予感はあたるのである。

風景がとても美しい。土にまみれた仕事着の色合いも自然の中に溶け込み、いい感じである。
ロバってかわいいなと思った。冒頭のシーン、花びらのような大きな雪片が舞う中で初めて登場するあの白と黒のロバが、ほんとにかわいく、2人をけなげに支えてくれるのである。

映画観てきた

「ブレット・トレイン」観てきた。伊坂幸太郎の「マリア・ビートル」が原作とのこと。私はそれは読んでないけど、「ゴールデンスランバー」を読んだときは「これ、映画みたい」と思った記憶がある。なので、ハリウッド映画に伊坂作品というのはありうるなと思った。
といっても「ブレット・トレイン」が原作にどこまで忠実かはわからない。いや、たぶん、だいぶ違う。今日の印象では、映画はかなりタランティーノ風。新幹線を舞台にばんばん人が殺されて真っ赤っかの血まみれになるし、えぐい描写も多い。たぶん、原作はそうじゃない。知らんけど。

タランティーノ風というよりは「KILL BILL」風か。「時には母のない子のように」とか「上を向いて歩こう」といった日本語の歌(いずれもカバー)が突然流れたりするし。でもって、KILL BILLよりもっとふざけた、笑かす感じ。あまりにもどんどん人が殺されるので怖くも恐ろしくもない。ふーんという感じ。最初からずっとテンション高い状態が続くので、途中でちょっと飽きてくるかも。もう少し短くしたほうが私的には好み。でも、映像的にはなかなかキレが良く、おもしろい。爆走する新幹線車両の外で腕だけでつながってる必死のシーン(そして無事に戻る)はハリウッド映画あるあるで「またかい」「わかったわかった」だけど。

「ブレットトレイン」はもちろん日本の新幹線がモデルだけど、日本の新幹線であって日本の新幹線でない、どこか平行世界の新幹線。ハリウッドが描く日本としてすでに確立された混沌の世界、たぶん。「?」と思うところはいろいろあってもそれ今更言う?な感じで。
日本人役の俳優たちの日本語セリフがちょっと不自然だったのは気になった。冒頭の真田広之のセリフとか。あれでは感情をこめるのがむずかしかっただろうと思う。「みかんとレモン」コンビはよかった。

ブラピも老けたけど、まあいい感じになってた、かな。