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シーシー

前から新聞(紙の)をだらだらと長時間かけて読むのが大好きなんですが、最近はわからない言葉があるとスマホで調べたり、知ってそうな人にスマホで聞いたりしながら読むのでさらに時間がかかります。朝刊と夕刊読むだけで人生が終わりそう。休刊だとほっとしたり。

昨日は、食べたあとに「シーシー(シーハーのほうが一般的?)する」というのを読んで「ちょっと待て。今までなんとなく読み過ごしてきたけど、シーシーするってどういうことなんだろ?」と思い、「知ってそうな人」に聞いて、だいたいわかりました。

この間は「痰を吐くってどうするんだろう?」と思って検索して説明読んでもあまりよくわかりませんでした(とてもできそうに思えない)。

そのうち「知ってそうな人」に聞こうと思います。

母の足

この間から数日間、ひさしぶりに湯たんぽを出して使ってみた。
ある日、「待てよ。去年もその前もその前も、湯たんぽなんて使ってなかったのに、今年はよっぽど寒いのか? そうでもないと思うけど・・・??」と急にあやしむヤマシタ。
そして、はっと気づいた。毎年冬になると使ってたニトリの敷きパッド。今年は出すのを忘れていたのだった。そうだ! あれだ! 押入れから引っ張り出して使ってみたらあったかい。湯たんぽいらんやん! しかし、なんでそんなこと忘れるのかなあ。われながら。
それに、なんだこれ、ニトリの広告かい。

で、思い出したのが、こどもの頃のこと。
うちの母はいつも足があたたかだった。
冬の夜、私や妹たちが布団に入っていると、母が布団の中に入ってきて・・・えーっと、どういうシチュエーションだったかなあ。まあいいや。
細かなことは忘れたけど、とにかく、母の足が私たちの足よりずっとあたたかいのだ。それで、私たち子供の間に寝て、さわらせてくれるのだ。ほんとに、びっくりするくらい、ほこほこにあたたかいのだ。
「おかあちゃんの足、ぬくい!」
「そやろ。おこた(こたつのこと)みたいやろ」
「ほんまや!」
「足おこたや!」
私や妹たちはけらけら笑いながらみんなで母の足に自分の足をくっつけた。
あれは幸せな時間だった。

大人になると自分の足もあたたかくなるのかなと思ったが、そうはならず、私は足も手も冷たい。病院にいるときは看護師さんたちに「手、冷たいですね!」とよくびっくりされた(看護師さんたちはなぜかみんな手があたたかかった)。冬になると足にしもやけができるのはしょっちゅう。4年前からは手にしもやけができるようになった。血行が悪いのかな。

なので、いまは「おかあちゃんの足おこた」もないのでニトリの敷きパッドがたよりなんです。また宣伝してしまったよ。

まあうちの近所のサザンカでも見てください。

おみくじがえらそう

あっという間に日が経ってるわけですが、今年はひさしぶりに徒歩で近くのT神社に初詣に行ってきました。1月3日。しかもおみくじなんか買ってみました。そしたら「吉」だったのですが、なんかえらそうなんですよ、文章が。
(画像をクリックしたら大きくなるので読みやすくなりますよ)


「特に男女の間をつつしめ」とか「よく見定めて進め」とか。いや、なんでそんなえらそうに命令するのよ…と思ってよく考えたら、これは「べし」を現代語風に置き換えたってことか。

「べし」の意味はむかし習いましたよね。古文の時間に。といっても忘れてたけど、いまネットで調べたら思い出した。「べし」には「推量・意志・可能・命令」の意味があるんでした。ネットで調べるとそのほかに「当然」とか「適当」の意味があるとか、サイトによって全部で6つの意味があるとか、いや7つだとか割とそのへんは定まってないみたいですが、ともかく、この「命令」の「べし」を現代風に、命令形にしちゃったのではないだろうか。違うかな。

そういえば昔のおみくじはどうだっけ、と探してみた。
昔といっても江戸時代とかじゃないですよ。私もそんなに長生きしてませんから。
一時期、毎年おみくじを買ってて、おもしろいので残していたはず…と思ってあちこち探したけど、どうやら処分してしまったらしく見当たらない。惜しいことしたな。でも、一枚だけあった。それも同じT神社。98年のものです。

どうです。なかなか趣があるじゃないですか。イラストもいい味だしてますよね。紙が薄くてぺらぺらなのもいいですね。おみくじがコピー用紙みたいだったり光沢紙だったりしたらちょっとしらけると思います。

そして、「べし」のオンパレードです。このうち、「うりかい共によくよく念入れるべし」が今のおみくじだと「念入れろ」になるのでしょうか。「急ぐべからず」は「急ぐな」になるんでしょうか。きつい。お正月から怒らなくてもいいじゃないですか。私が何をしたっていうんですか。昔のおみくじはやさしかった…いや、でも古いほうのおみくじにも「先祖のまつり怠るな」が。やっぱり怒られてしまった。結局よくわかりません。

ついでに言うと、以前はこの神社、おみくじを買うときは筒形の入れ物から番号のかいてある細い棒を自分で出して申請する方式だったと思うんですが、今年行ったら箱の中に木でできた玉がごろごろ入ってて、その中から「どれでもとってください」という方式に変わってました(番号で申請するのは同じですが)。しかもそこに書いてあった番号が算用数字でした。風情がないわー。

東京国際フォーラム

「はたらく細胞」に出て来たので「え、ここは…!」とびっくり、そういえばずいぶん前にあそこに行って写真撮ったことあるなと思い出し、フォルダから引っ張り出してみた。東京国際フォーラム。
天井のあばら骨みたいなかたち(映画ではこの部分が動いていた)がおもしろい建物。この渡り廊下で「そっちは気管支だよ」と言われてたっけ。

紅白で

大晦日でよかったのは御座候を食べたことではなく、紅白でこの曲に出会えたことだった。かけっぱなしにしてネット見たりしていたが、この曲が聞こえてきて「え、ちょっと待って」て感じでテレビに向き合った。それから何回もしつこく聴いている。小松菜奈主演のこのMVはすてきだけど、歌詞がちょっと聞き取りにくいかな。

食欲はどこへいく

11月ごろはまだあまり食欲がなかった。ないこともないのだけど、何を食べたらいいのかよくわからないというか。なんせ病院食を連日食べている(実際は半分も食べられない)うち、もうどうでもよくなって感覚がおかしくなっていたのじゃないかと思う。病院食には栄養はあっても夢も希望も明日もないのだから。

それで、入院と入院の間の短い時期も、急に自由に食べて良いといわれても途方に暮れてしまうわけだ。通常ならコーヒーとパンなのだけど、それを頭の中に思い描いてもぴんとこない。なんか違う。いろいろイメージしてみて、これならいけるかと思ったのが「卵かけごはん」。やってみたらなかなかよい。以来、毎朝しばらく考えては結局卵かけごはんを食べていた。この時期を「レベル1」とする。

その後、一応、予定された治療をすべて終え(一部の治療についてはできなかったのだけど、まあよしとする)めでたくほんとの退院。それでも相変わらず卵かけごはんにしていたが、ある日ふとパンを食べたくなり、フランスパンを買って来て翌朝の朝食に。おいしい! パンが食べられるようになった! 
しばらくするとコーヒーも飲めるようになった。
だいたい、コーヒーが飲めるかどうかが私の場合食欲のバロメーターになってたりするわけで、感無量。ここにきて「レベル2」に達した感。いや、元に戻ったのだ。
元に戻ったらそれでいいので、こういうことはそれより先に「進む」必要は全然ないと思うんだけど、その後もレベルアップがとまらない。
なぜかカップ麺が食べたくて仕方ない。やばい。
カップ麺なんかずいぶん長い間食べていない。きらいじゃないけど、私にとってはけっこう食べるのにパワーを必要とするものなのだ。カップ麺の持つパワーに立ち向かうにはにゅうめんからきつねうどん、ざるそば等を食べる時のパワーではだめなのだ。一回食べると半年くらいは充電期間をおかないと食べられないような気が。なのになぜか、今はいけそうな気がする。軽々とカップ麺に立ち向かえそうな気がしている。どん兵衛や赤いきつねどころか、ペヤングでもラ王でもどんと来い!な気分。これはひょっとして、私の食欲は「レベル3」に達したか。自分では認識していなかっただけで実はうちに秘めたる食欲は、私ってけっこうすごいんです、だったりするのか。いや、でも、食欲に直結する「体重」という問題があるので、ここは慎重にせねばっ。

さらに。
去年の大晦日。突然「あんこが食べたい!」という思いがむらむらとわいてきて、駅構内の御座候の店で初めて購入した。徒歩圏内の店だが今まで一度も買ったことなかったのに。4個。いや、いっぺんに食べませんけど。しかし、「これはひょっとしてレベル4か?」と、買って帰った御座候の包みをしみじみと眺める私がいた。

というわけであけましておめでとうございます。

大晦日の御座候の店はちょうどよいくらいの行列ができていて、順番が回ってくるまでにおにいさんが焼いている様子をゆっくり見ることができた。あんがのっかったほうの皮をさかさまにしてあんがのってないほうにぽん、と乗せる。そして、左手でちょい、ちょいと軽くたたくように整えるおにいさんの白くて細くて長くて骨ばった指先がきれいだなと思ったのであった。

<追記>
イラスト差し替えました。あとから気づいたのですが、このお兄さんは腰をかなり曲げて作業するのです。背が高すぎるのでしょうか。近眼で、顔を近づけないとあんこが見えにくいのでしょうか。よくわかりませんが、それで「ちょい、ちょい」とする動きがよけい独特にみえるのかもしれません。

窓のそば

今回はたまたま窓際のベッドになった。

窓際はよいのだ。窓から外が見えるのは当然として、広いのだ。

大部屋(6人部屋)なのでベッドが3つずつ2列に並んでいるが、一番奥の、窓際のベッドは窓のそばの空間(本当は共有スペースだろうけど)も実質自分とこ、な感じなのだ。
これまで何回か入院したが、真ん中のベッドのことが多く、入り口のそばだったこともあるが、やっと憧れの窓際。なのだ。

あいにく今日は台風の影響で窓の外もこんな感じだが、

晴れた日はこんな感じなのだ。

いやあ、それにしてもヘンテコな台風だよね、台風10号(「サンサン」という名前らしい)

セーヌ川の大きな顔

パリオリンピックの開会式。スタジアムではなくセーヌ川を舞台にする、と聞いたときから、おそらく散漫な感じになるだろうと思ってた。船で入場って船渡御やん。でも、狭苦しい大阪の、にぎやかなお囃子が絶えず流れる大川と違っておフランスのセーヌ川だし、と。案の定、テレビ番組としての開会式は退屈そのものだった。つくりこんだ映像と現地がいつの間にかつながったりする演出もあまり好きじゃないが、でも、これは好みによるか。
「途中で寝てしまった」という正直な声もSNSには散見されたが、最初から最後まで目を離さず見ていたのは極々少数派だったのでは。私も最初から録画と決めて翌日「ながら視聴」をした。そんなわけであんまり熱心な視聴者じゃないけど、それなりに感心するところはけっこうあった。基本的に開会式ファンなんで。

印象に残ったのはセーヌ川にあごが水没しているいくつもの大きな顔。名画から抜け出たような人物の顔が並んでいるのはシュールとしかいいようがない光景だ。しかもその目が(私は気づかなかったが)動いていた、とSNSで読んだ。芸が細かい。

かなり大きいことがわかる。


棒の先で踊る人々も同じくシュールな眺めだった。まるで串カツみたいに棒(といっていいのかどうかわからない)の先に固定された人間がいて、それがゆらゆらと揺れる、いや踊っている。どうなってんの。相当な高さであると思えるが、だいじょうぶなのか。1人2人ならわかるが、かなりの数。雨模様の鈍色の空と相まって悪い夢でもみているような気がした。
川沿いに繰り広げられるそんなパフォーマンスの数々を見ているうちになんとなく寺山修司を思い出したが、これはもちろん、寺山が彼の地の演劇や大道芸に影響されたということなのだろう。


中には「最後の晩餐」のパロディのような、クレームがついたらしいパフォーマンスもあったり、フランス革命に材をとったかなりホラーな演出があったり、いやあ、なかなかよくやるもんだなと感心した。とりあえずやってみようよ、これおもしろいから! クレームついてもいいから!て感じだろうか。いいなあ。うらやましい。どっかの国みたいに、いつまでも過去の検証さえせず、とりあえず無難なことしかできない、そしてかげでは賄賂が飛び交う一方で肝心のところには「コンパクト」「節約」を名目にお金をケチって(国民もそういうところにはすぐ賛成する。なんでもかんでももったいないとか安い方がいいというもんでもないと思うのだが)結局しょぼいものしかできない惨状を思うとため息しか出ないわ。
結果、パリオリンピックの開会式、嫌いじゃないです〜。

あ、それとバッハ会長の挨拶、いつもながら長いぞ。コンパクト挨拶にしてほしい。

ご無沙汰しておりました

え、前回書いたのは6月8日! そうか。

実はまた入院してました。おととい退院しました。で、また入院するんですけどね。

4年前の続編です。今回は短期の入院を何度か繰り返すかたちになりそうです。
今のところわりと元気にしてますのでご心配無用。ただ、相変わらずばたばたしててひまがない。今回も入院と入院の短い間にいくつもやることがあって・・・そろそろ年を考えるといろいろ見直さないといけないかも。

いやあ、それにしても3週間ぶりに出てきた外界は・・・暑すぎるぜ!

映画観てきた

やっといろいろ一段落して、今日は扇町キネマで「リンダはチキンがたべたい!」を観てきた。アニメだけど、ちょっと変わってる。原色いっぱい、カラフルで、絵画作品を見ているよう。主人公のリンダは女の子だけど、大人向けのアニメだ。人物ひとりひとりの背景がさりげなく描き込まれる。似たもの親子のリンダとママン、やさしかったお父さん、しっかりものの叔母さん、いい年して親に頼りっきりの卵屋の息子、どこかずれてる警察官、そしてにぎやかなご近所のみなさん。パプリカチキンから大騒ぎになって、さまざまな人生が団地に集合する大団円。ふわっとした童話みたいなストーリーを想像してたら、そこは違った。そもそも、中心になっているのは全国的なストライキで、どこのお店も閉まっているというある日の出来事なのだ。おお、フランスではストライキが健在!

そんなお話がすてきな絵とともに速いテンポで描かれるものだから、私なんか画面みながら「えー、すごいな〜」「そうなるんだ!」「へー!」「きれいー!」とかあたふたと感心してるうちに終わった感じ。ちょっとほろりとさせられた。でもハッピーエンドで良し。おんぼろ団地は「長屋」の雰囲気だ。
くしゅくしゅして息がもれまくってるような、ささやくようなフランス語、やっぱりいいなあと思った。

写真は扇町キネマ(扇町ミュージアムキューブの中)ロビーから。向こうに見えるのはキッズプラザ大阪。

むかし、近くに「扇町ミュージアムスクエア」(OMS)というのがあって、リリパットアーミーのお芝居とか観に行ったことがある。映画も何回か観た。扇町ミュージアムスクエアはもうないので、そのあとに扇町ミュージアムキューブができたのかと思うよね。ところが近くだけど違うんだからややこしい話だ。OMSはこの映画館のあるとこの向かいというか、扇町公園の並びだったね。

ミュージアムキューブの向かいに「無人決済店舗」のファミマがあったので入ってみた。
かごに商品を入れてレジに行くと「商品はピュレグミとひとくちルマンドですね」みたいな文言がモニタに出てびびる。なななななんで知ってるんだ。
あとで調べたら店内にすごくたくさんのカメラが設置されていて、商品の棚には重量センサーも設置されていて、とにかくすっかりお見通しという仕組みらしい。

しかし、万引きとかないのかな。その気になればできそうだけど。いや、私はしませんけどね。


映画を観ながらときどきグミをつまむのがくせになってます。だいたいピュレグミ。