眺めがいいので、つい窓の外を見る。
昨日、ふと見るとハルカス(上の写真、画面中央、遠くの方にみえる小さな高い建物)の右のほうが黒っぽいものでおおわれて、見えなくなっていた。
このころ、大阪市内では雷雨だったようだ。
こんなふうに見えるんだ・・・。
大阪の南部ではよく晴れていたよね。
投稿者「ヤマシタクニコ」のアーカイブ
山の向こうの白い犬
朝焼けの写真なんだけど、山の向こうから白い犬がのぞき込んでる・・・ように見えないかな。
いや、それだけだよw
窓のそば
今回はたまたま窓際のベッドになった。
窓際はよいのだ。窓から外が見えるのは当然として、広いのだ。
大部屋(6人部屋)なのでベッドが3つずつ2列に並んでいるが、一番奥の、窓際のベッドは窓のそばの空間(本当は共有スペースだろうけど)も実質自分とこ、な感じなのだ。
これまで何回か入院したが、真ん中のベッドのことが多く、入り口のそばだったこともあるが、やっと憧れの窓際。なのだ。
あいにく今日は台風の影響で窓の外もこんな感じだが、
晴れた日はこんな感じなのだ。
いやあ、それにしてもヘンテコな台風だよね、台風10号(「サンサン」という名前らしい)
ホットサンダルはじめました
おとといの朝の話なんですが。
洗濯物を干すために東側のベランダに出ようと、置きっぱなしのおやじサンダルに足を入れようとして「あつっ!」。
それは朝といえどすでにおそろしくギラギラの太陽光をまともに受けてアッツアツになってて、ふつうの人間にはとうていはけないものとなっていたのです。まじ、火傷するかと思いました。
それで一瞬悩んだ後、私はぽんと手を打ち、玄関に置いてるおやじサンダルを持ってきました。それをはいて、ベランダに出て、雑巾で物干し竿とか拭いて、「あ、そうだ。あれ持ってこなくちゃ」とか気づいて一旦部屋の中に戻り、すぐにベランダに戻ったんですが、そのときにはもう、玄関から持ってきた「おやじサンダル2」が焼きたてのアツアツ状態に! えーっ! 繁盛しているたこ焼き屋か御座候なみ。客が行列してても、いつでもすぐにアツアツを提供できるという。いや、提供してほしくないよ、焼きたてアツアツのおやじサンダルなんか!
それで、また一瞬悩んで、反対側のベランダに置きっぱなしのおやじサンダルがあることを思い出して、それを・・・っておやじサンダル三足もあるんかい!(あるんです)(結局それは取りにいかず、しばらく日陰でサンダルをさますことにしたんですけどね)
地球温暖化は深刻なのです。びっくりしましたわ。
(おやじサンダルってあまりデザインにバリエーションないようですね)
イケメン?
アラン・ドロンが亡くなった。ヤフコメなど見てると「イケメンの代表みたいな人だった」といったコメントがたくさんあって、「はあ?」と思った。アラン・ドロンが「イケメン」? やめてくれ。それもいうなら「ハンサム」または「二枚目」だろう。「男前」でもいいけど、豆腐を連想してしまうので、これも避けたいところだ。
以前から「イケメン」ってかなりテキトーな言葉だなと思っていたが、まあ別にいいです。ただし、アラン・ドロンには似合わないのでやめてほしい。
といっても、私が熱烈なドロンのファンだったわけでもないけど。そんなに映画たくさん見てないし。とにかく、ひとつの典型だったなと思うだけだ。
顔の話でいえば、二、三日前、やっと新しい一万円札を手に入れて、しみじみと顔を見た。渋沢栄一の。ふーん。どこかで会ったような気がする。会ってないと思うけど、そんな気にさせる、どこにでもありそうな顔というか。ふつうの人だ・・・。
それで、つい絵を描いてしまった。
渋沢栄一、何でも似合うやん。汎用性高いな。
お札にはあまり似合うと思わないけど。
※描き手が昭和のひとなので昭和の絵しか描けませんでした。
ひまなもんでお絵描き
入院生活ってわりとひまなんですよね。この間の入院ではパソコンを持っていかなかったのでやることなくて悶絶してました。iPhoneだけでできることは限界あるし。
それで今回はいつも使ってるMacBookProを持参しました。これでメールでも仕事でもなんでもできるぞ! と思ったけど、基本ベッドでの生活で、ベッドで座って(正座をくずしたかたち)パソコン使ってると腰が痛くなるので長時間できない。疲れると寝転ぶ。寝転んでるときはやっぱりiPhone。ちなみにiPhoneでいつも読んでる新聞も読めちゃいます。これは便利。
それでもまだひまで、時間を持て余す。そういうときは何がいいかというと、私の場合、お絵描きのようだ。絵を描くのは楽しい。下手だけど楽しい。
小説書かんのかいと言われそうだけど、それはまた今度。
しかし。パソコン持ってきたけどペンタブ持って来なかった。まあ仕方ない。こういうときにアイビスペイント試してみるかとやってみたらなかなか難しい。アイビスペイントってスマホやタブレットで使える無料(課金あり)のお絵描きアプリで、これが、大変よくできてるのです。しかも指で描ける(タッチペンでもいいけど)。指でも描ける・・・けど、やはり慣れる必要がありそう。
これは今日描いた「コノヨザル」。ポケモンgoでの現在の私の相棒です。かっこいいでしょ。え、そう思わない? オコリザルから幾多の困難を経て無事進化させ、この姿が現れたときは、感動しましたけどね。
アイビスペイントに疲れて、パソコンでお絵描きすることもある。ペンタブがないのでマウスで、Illustratorで。マウス使いも下手なんだよね。私。
下の絵はおととい描いたもの。「虎に翼」の1シーンです。
岡田将生が星航一を演じるって無理あると思いませんか? ねえ。
セーヌ川の大きな顔
パリオリンピックの開会式。スタジアムではなくセーヌ川を舞台にする、と聞いたときから、おそらく散漫な感じになるだろうと思ってた。船で入場って船渡御やん。でも、狭苦しい大阪の、にぎやかなお囃子が絶えず流れる大川と違っておフランスのセーヌ川だし、と。案の定、テレビ番組としての開会式は退屈そのものだった。つくりこんだ映像と現地がいつの間にかつながったりする演出もあまり好きじゃないが、でも、これは好みによるか。
「途中で寝てしまった」という正直な声もSNSには散見されたが、最初から最後まで目を離さず見ていたのは極々少数派だったのでは。私も最初から録画と決めて翌日「ながら視聴」をした。そんなわけであんまり熱心な視聴者じゃないけど、それなりに感心するところはけっこうあった。基本的に開会式ファンなんで。
印象に残ったのはセーヌ川にあごが水没しているいくつもの大きな顔。名画から抜け出たような人物の顔が並んでいるのはシュールとしかいいようがない光景だ。しかもその目が(私は気づかなかったが)動いていた、とSNSで読んだ。芸が細かい。
かなり大きいことがわかる。
棒の先で踊る人々も同じくシュールな眺めだった。まるで串カツみたいに棒(といっていいのかどうかわからない)の先に固定された人間がいて、それがゆらゆらと揺れる、いや踊っている。どうなってんの。相当な高さであると思えるが、だいじょうぶなのか。1人2人ならわかるが、かなりの数。雨模様の鈍色の空と相まって悪い夢でもみているような気がした。
川沿いに繰り広げられるそんなパフォーマンスの数々を見ているうちになんとなく寺山修司を思い出したが、これはもちろん、寺山が彼の地の演劇や大道芸に影響されたということなのだろう。
中には「最後の晩餐」のパロディのような、クレームがついたらしいパフォーマンスもあったり、フランス革命に材をとったかなりホラーな演出があったり、いやあ、なかなかよくやるもんだなと感心した。とりあえずやってみようよ、これおもしろいから! クレームついてもいいから!て感じだろうか。いいなあ。うらやましい。どっかの国みたいに、いつまでも過去の検証さえせず、とりあえず無難なことしかできない、そしてかげでは賄賂が飛び交う一方で肝心のところには「コンパクト」「節約」を名目にお金をケチって(国民もそういうところにはすぐ賛成する。なんでもかんでももったいないとか安い方がいいというもんでもないと思うのだが)結局しょぼいものしかできない惨状を思うとため息しか出ないわ。
結果、パリオリンピックの開会式、嫌いじゃないです〜。
あ、それとバッハ会長の挨拶、いつもながら長いぞ。コンパクト挨拶にしてほしい。
ご無沙汰しておりました
え、前回書いたのは6月8日! そうか。
実はまた入院してました。おととい退院しました。で、また入院するんですけどね。
4年前の続編です。今回は短期の入院を何度か繰り返すかたちになりそうです。
今のところわりと元気にしてますのでご心配無用。ただ、相変わらずばたばたしててひまがない。今回も入院と入院の短い間にいくつもやることがあって・・・そろそろ年を考えるといろいろ見直さないといけないかも。
いやあ、それにしても3週間ぶりに出てきた外界は・・・暑すぎるぜ!
校歌・市歌
高校の同窓会の関係で、しばらく校歌について調べたりした。
私の卒業した高校は旧制中学校から戦後に共学の高校になった。私が親しんでいたのはもちろん、新制高校の校歌で、旧制中学校時代の校歌は聴いたことがなかった。戦前(1937年制定)だし、男子だけの旧制中学校の校歌となると、なんだか男臭く、ぼきぼきした感じの歌を想像してしまう。
ところが、おそるおそる聴いてみると意外とやさしいメロディで親しみやすく、また、いま聴いても別に違和感ない。へー。
ついでによその学校の校歌をいくつかネットで聴いてみたりする。母校では新制高校になった翌年、校歌も新しくなったのだが、戦前からの校歌をそのまま、あるいは歌詞の一部を変えたりして今も使っているところも珍しくない。そういうのって、100年くらい前の歌だったりするわけだけど、やはり、聴いてみると「ふつう」なのだ。特に古臭いわけでもなく・・・・・。そこで、はたと気がついた。違うやん。昔の校歌が「今聴いても古さを感じない」のは、校歌の世界が変化がなさすぎるのだ。考えたら、だいたい歌詞が今も文語であることが多く、それこそ古臭いわけだけど、そんなもんだと思ってしまってる。
100年前、80年前、70年前の流行歌だと、さすがに今聴くと古すぎるけど、校歌の世界はやはり歌いやすく、親しみやすい、基本に忠実で冒険の少ない世界なのだろう。それと、流行歌は歌詞やメロディだけじゃなく歌い手の個性あってのもので、それはあっという間に消費されたりするけど、校歌はそうじゃないしな。
と、YouTubeをさまよっているうち、今度は市とか県の歌がおすすめに出てくるようになった。それでなつかしくなるのが大阪市の歌だ。
子供のころは大阪市に住んでいて、学校では習ったことがなかったが、父がよく大阪市の歌を歌ってたので、なんとなく覚えていた。でも、父はひいきめにみても歌がうまいとはいえず、何を歌ってもふわ〜っと、軽いというか弱いというか、気の抜けたようになってしまう人だった。大阪市の歌も子どもの私は、印象的な「民のかまどに立つ煙」という歌詞もあって、いい歌だなと思っていたが、「なんとなくさびしげな歌だな」と思っていた。哀愁を帯びたメロディ、みたいに思っていたかも。
ところが、YouTubeで聴いてみると、全然違う。「民のかまどに立つ煙」のところで、ドドドドドド!と盛り上がり、シンバルがジャーンと鳴り「にぎわいまさる大阪市〜」でさらに上がり調子になり、最後なんか合唱も楽団もこれでもかというくらい力が入って、超パワフルな歌になっている。
おとうちゃんの歌ってた歌と全然違う・・・・
歌は演奏者によってまったく別物になるのだと知る。
バラ園
この間、やっといろいろ一段落した、と書いたけど、書いたことを後悔している。一段落はしたけど、その一段落がほんとに、もう、チョー短期間だったからだ。
いろいろ一段落したので、この間、浜寺公園に行ってきた。浜寺公園ってむか〜〜〜〜〜しに1回行っただけでほぼ未体験ゾーンに近い。
なんでもバラ園があって、今が見頃らしい。それで、「いろいろ一段落したから」程度の理由でふらりと行くにはほどほどの遠さだし(あくまでも「一段落」なので、大阪府内、それも大阪府南部地域、できたら南海沿線地域にしたい)、うまくいけばこれで私も浜寺公園を征服できるかもしれないと思って。
それでさっそく行って、浜寺公園に「ヤマシタここに到達す 2024.5.20」と書いた旗を立ててきました。うそだと思うなら見にいってください。たぶん、見つからないと思うけど、それはまめに花殻を回収してた職員がバラの花殻とともに撤去したからです。きっと。
バラにはそれほど興味がないんだけど、そういいながら去年は福山のバラ祭りに行ったし(これは特別)、伊丹の荒牧バラ公園にも行ったことがある。だんだんバラ通になったらどうしよう。
いやー、とにかくバラがいっぱいでした。
あたりまえだけど。
で、このときはまだよかったのですが、浮かれすぎたのか帰宅後、なんだかしんどくなって、頭は痛い(熱はほぼ平熱)し、やたら眠いという状態がしばらく続きました。もう、何にもしたくない・・・という感じ。
今日はかなりましになったので、このブログを更新したりしてますけど、そういうわけであっというまに「一段落」はすぎて、また次のフェーズに入っております。
とにかく眠い。だるい。することいっぱいなのに。
あ、食欲はあるし、相変わらず減らない体重にためいきついてますのでご心配なく笑。