月別アーカイブ: 2013年7月

グランフロント

左のほうで白いシャツの若い男性が透明パネルによりかかって下を見ているが、私がエスカレーターで上っては写真を撮り、また上っては写真を撮り、していた間、ずっとこのままだった。一瞬、目が合ったかなと思ったこともあったが、遠いからなんともいえない。

疲れていたのかなあ。
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めがねケース

映画が終わったあと、映画館のそばのメガネ屋さんでメガネケースを買った。
いまのメガネケースはスヌーピーの絵のついたやつだが、ふたの一部がぺこぺこしてきて、時々閉めたつもりが閉まってなかったりする。私はメガネはかけたりかけなかったりなのでしょっちゅうケースを開け閉めしたりバッグに入れたり出したりする。だからそれは困る。代わりのケースを買わなくちゃ、と思い始めてはや数年。うそ。

店先で見てたらソフトな口調の店員さんに誘導され、あっさり購入。
「よろしかったらついでにメガネのねじを締めてお掃除もさせていただきます」と言われて店内へ。
私の赤いフレームのメガネをまじまじ見た店員さん
「なつかしいですね〜〜〜! これ、うちの・・・」
「あ、そうです。こちらでフレームを買ったんです」
「ええ、これは、うちでしか扱ってないオリジナルです」
「そうなんですか。もう10年くらい前ですけどねー」
「ええ、ええ」
確かそのフレームを買ったのは、ラッセル・クロウのファンサイトに毎日入り浸ってたころ。だから、10年・・・以上か。
「雨がすごいですね」
「ええ、ギャツビーを観て、出てきたらすごい雨で」
「このせいで有線も一時止まってました」
「そうなんですかー。ギャツビー、よかったですよ」
「ええ、ギャツビー観たあとでうちに寄るお客さん、多いですよ」

ほんまか、とちょっと思った。

0706glasscaseめがね拭きは数種類から選べたが、イキオイで派手なやつに。

映画観てきた

今日は「華麗なるギャツビー」を観てきた。
きれい・・・というより「ムーラン・ルージュ」のバズ・ラーマン監督らしいこてこてのパーティーシーンがこれでもかというくらい出てくるが、もちろんそればっかりじゃなく、抑えた絵とのバランスは取れている。おぼろにかすんだような桟橋や対岸の景色が私にはとても印象的だった。

「ギャツビー」は私は原作は読んでいないのだが、読もうとして、文庫本を買ったことはある。買ったけど、なんとなく読みそびれているうちにすっかり黄ばんで、さらに読みそびれていると茶色ばんでしまった。茶色ばんだ本なんて読む気もせず、たぶん捨てたと思う(いま探したらなかった)。
なんで読みそびれたかというと、タイトルでなんとなく、とっつきにくい、大げさな話のような気がしたのだ。たぶん。少しは読みかけたものの文体に親しめなかったのかも知れない。忘れた。
ところが今日、映画を観てみたらとてもピュアで切ないお話だった。泣けちゃった。こんなお話ならもっとさっさと読めばよかった。すまない。私を許せ、友よ。

しかし、ディカプリオって映画でよく死ぬような気がする。

エスカレーター その2

あー、やっぱり高いところ苦手。まわりすけすけだし・・・。こんな風景を撮るのもどきどきわなわな膝がくがく、おへそのあたりがきゅーっとなりながら撮りました。こわかった(いやなら撮るなよ、ですか。まったくです、はい)。
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映画観てきた

なんと、2か月ぶりで映画観てきた。今日は「嘆きのピエタ」。キム・ギドク監督の韓国映画。
こわかった・・・えぐかった・・・どっと疲れました・・・。もう、機械見るだけでコワイ(監督の名前もなんだかコワイ)。画面から機械油や血や内臓とかのにおいがしてきそう。でも、殺伐とした風景には絵として魅力も感じたり。
とにかく、迫力ある。賞をとったのも納得。そこまでしなくてもと思うところもないではないけど、映画なんだから誇張強調、そして説明省いたりするとこはあって当たり前だろう。

で、次はケーキのような甘〜い映画が観たいと思うヤマシタでした。

馬の脳みそとか

 

昨日はとある集まりで考古学者の松井章氏の講演を聴いた。私はその様子を写真に撮ろうとしていたので冒頭部分は申し訳ないが聞き漏らした。ところが、撮り終わってから(←うまく撮れなかったのであきらめてから、というべき)聴いた内容がとてもおもしろく、すっかりひきこまれた。
氏の考古学は環境考古学とかいわれる分野であるそうで、ごみの中から丹念に骨片を探し出したりトイレの遺構から当時の人々の生活を探ったりというジミな作業の積み重ねから「ほ〜!」な仮説を立て、実証するもの。その範囲は空間的にもヨーロッパからラオス(むかしの日本の農業はこうであっただろうと思われるかたちが残っているそうだ)まで日本を飛び出して実に広い範囲にわたっているし、それだけでなくさまざまな分野の垣根を超え自在に往還する類のものであることは素人の私にも想像がつく(ふだん縁のないことを書こうとして何やらよくわからなくなっている文章)。
思わぬ用途に使われた馬の脳みその話も「えーっ」であったが、早くから人間とともに生き、狩られ、解体されもした犬の話はなんだか、胸がじんとするようだった。といってもよくわかりませんよね。おまえ、ほんまにわかってたんかいと言われそうです。すいません。まあ興味のある人は本を買って読んでください。ということにしておきます。

 

で、写真はですね。「広告の中に埋没しそうな堺市庁舎」とでもしましょうか。

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