雨に散る花

1週間前には満開だったニセアカシアだけど、おととい近くを通りがかったときはすでに盛りをすぎて哀れな姿になっていた。真っ白の花も黄ばんでしぼみ、遠目にもイマイチ感・・・。

路上には無数の花が散っていて、水に浮かび、それはそれなりにきれいだったけど。

それでふと気づいた。
たいていの花は咲いたあと、しぼみ、変色し、そして縮んでその姿を人目にさらし、そしてやがて落ちるわけだけど、桜はそうではなく、だから賞賛されるのかと。え、いまさらですか?

桜はぱっと咲いてぱっと散るのがいいとかよく言われるし、さらにそれを「生きざま」と重ね合わせたりする人もいる。そういうのってあまり好きじゃないし、深く考えなかった。「ぱっと散る」とは単に大量の花がぱーっと散る様子をさしているのかと思ってたけど、どうも違うんだなと、やっと気づいた。

バラでもアジサイでもボタンでも、観賞用として栽培しているところは毎日花殻を摘む。しぼんで色あせた花は観賞に耐えないからだ。ボタン園で作業着を着た人がボタンの花を首から折ってどんどん摘み、袋がボタンの花でいっぱいになっているのを見て「うわ〜・・・」と思ったこともあった。
でも、桜はそういう心配がない。色あせてくしゃくしゃになった桜を目にすることはないのだ。すぐ落ちるから。
だから、つぼみの頃から咲き初め、満開、落花、そして葉桜も紅葉も、桜は美しい。すごく優秀というか好都合な木なんだね、人間にとって。

もちろん、一般的な観賞用としてどうこういう問題と、被写体としてのおもしろさはまた別だ。枯れた花、しぼんでかさかさになった花や種子を撮るのはものすごくおもしろいし、私は好きである。

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