あの戦争のこと

戦争のことをブログで書くなんて初めてかもしれない。毎年8月になるとうっとうしいくらい新聞やテレビではあの戦争の特集が組まれるし、なにもわざわざ私が書くこともないだろうと、だれも聞かないのに言い訳を考えたりしていた。2013年以降は夫が亡くなった月でもあるので、正直そっちのほうへの思いのほうが強かった。これはまあごまかしではない。新聞では相変わらず8月6日も8月9日も8月15日も、亡くなった人それぞれにかけがえのない生活があり、それが失われたことを語るに徹しているが、なんでそういうことになったのかについては以前からそうだけど、年々ごまかされているような気がする。それなら私が亡き夫のことを優先してもバチはあたらないだろう。と思ったりする。

昨日(16日)、テレビでNHKスペシャル「絶望の戦場」を見ていたら、あまりのひどさに泣けて仕方なかった。ずさんな計画を強硬にすすめ、いざとなると兵隊を置いてさっさと逃げる将校たち。その前編ではいわゆる大本営発表のことが取り上げられていた。どちらもひどい。そして2022年の現実を思うと、ひょっとしてこれはまったく同じ状況なのかもと思わされる。

今日、Twitterを眺めていたら、ある人が連投していた。それを読んでたらまた泣けてしまった。

──「戦争で命をかけて戦った」から「そして今の日本がある」と言う人は、因果関係を論理的に説明すべきだ。財閥解体、農地改革、女性参政権を含む普通選挙の実施、国民主権・基本的人権・平和的生存権、今我々が享受している自由や権利は全て敗戦の結果もたらされたもの。戦いで手にしたものではない。

戦後の経済発展、高度成長も、国連加盟を前提としたIMF-GATT、統一世界市場への参加、特にアメリカへの「集中豪雨的」輸出によってもたらされたものだ。経済発展という面でも、「あの戦い」との連続性は存在しない。

僕は「あの戦争で犠牲になって倒れた多くの方たちのおかげで、今日の我々がある」という事の本当の意味は、日本国憲法に凝縮された「戦後的価値」に導いてくれたことだと思っている。立憲主義も、国民主権も、基本的人権も、平和主義もこの賜物であり、戦陣に散った先輩たちの贈り物だと思っている。──

写真は直接関係なく、大阪駅です。

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