断線してた

北浜の魔界的カメラ店をあとにして、おっちゃんの言う通りカメラの量販店=なんばのキタムラに行った。行ったらえらく雰囲気変わっててびっくりした。こんなおしゃれな店だっけ。めちゃ垢抜けしたけど、えらく暗い店でもあった。おしゃれな店は暗いんだ、きっと。

ここでまた「レンズとの通信ができませんでしたと(カメラに)言われて・・・」と言うと、それはめっちゃよくあることらしく、一枚ものの説明資料を持ってきて私の目の前に置く。「コーティング」という処理をするらしい。それはほんの5分ほどで、店内ですぐにできる作業だそうだ。1100円。だけど、「再発する可能性高いです」という。

まあ、とりあえずやってもらうことにした。
しばらくすると店員さんが戻ってきて「レンズが断線してますね」という。断線。レンズが断線ということは線が入ってるんだ。ますますわからないけど、わかったようなふりをして「あー、そうなんですか」と言っておく。
「修理するとしたら2、3万円かかります」と言ったすぐに「それなら中古買ったほうがいいですよね」と言う店員。

断線してるけど、広角側で撮ればなんとかいける。ズームにすると具合悪くなる、のだそうだ。確かに、最初はいけても、ズームにしたりしてるうちにあの表示が出たような気がする。

まったく撮れないことはないといっても、すっきりしない気分なのはもちろんだ。カメラ本体も、さしあたってどうということはないけど、そうか、もうかなり古いモデルなんだなと北浜のカメラ屋で気付かされたし。いろいろ今後のことを考えさせられた1日だった。

まったく別のカメラ買って、新しい「カメラライフ」始めるのも悪くないかと思ったり・・・

キタムラの店内を何枚か撮って帰った。

レンズとの通信ができませんでした

昨日は仕事の関係で北浜に行った。北浜というと大阪でも中心地、都会の真ん中、ビルいっぱいのところだ。それで、終わったら付近を撮って帰ろうと、広角レンズを選んで持っていった。都会には広角が似合うのさ。ふっ。

ところが、いざ撮ろうとしたら画面に「レンズとの通信ができませんでした」との表示。え? レンズとカメラって・・・通信してるの? ええっ? って、そこですか。はい、そこです。何にも知らないヤマシタですから。

通信してるんだ(まだゆう)。

で、よくわからないけど、レンズとの接点を清掃してみてください、と表示は続く。その表示からどうにも進まないので、仕方なくレンズを外し、ティッシュしかないのでそうっと拭いてみたりした。接点というのは、下の写真でレンズにもカメラにも点々と並んでいるところがあるけど、このことらしいので、そのへんを。


でも、全然治らない。困った。
それで、「近くにあるカメラ店」をネットで探す。お店に持ってたほうが早いだろうと。
そして、ここだなと思うところに向かって、Googleマップ見ながら歩く。ビルの2階らしい。無事たどりついて、エレベーターに乗り、2階でドアが開くと、いきなりカオスな空間。そこからどこにも行けそうにないのだけど、これは一体・・・きょろきょろしてるとその中にいたおっちゃんと目が合い、
「あのう、カメラ屋さんは・・・」
「ここや」

部屋の真ん中に円形の台があって、そこにレンズが山をなしている。まわりの棚も、たぶんレンズやカメラで埋め尽くされている。床にも段ボールの箱がいっぱい。

ともあれ、事情を話すと
「うちはフィルムカメラが専門やからなあ」といいつつ
「まあそこ座り」
一応見てくれるらしい。
レンズの山の中の一角が仕事台みたいになってて、そこにカメラを置き、レンズをはずして何かで拭く。
「このカメラ、もう7年くらい前のやな」
「え、わかります?」
「そらわかるわ」
とかなんとか話しながら見てくれたけど、結局
「これはやっぱりカメラの量販店にでも行ったほうがええな」。

別に料金はいらんと言われ、そのまま帰るしかなかったけど、残念。
何が残念かというと・・・このややこしい店の中を広角で、めっちゃ撮りたかったんです! 円形の台。真ん中におっちゃんを入れて(端っこでもいいか)。まわりもできるだけ入れて。
なのにその広角が「通信できませんでした」って。どんなジレンマなんだよ。

牧野富太郎

今の朝ドラ「らんまん」は全然まともで安定感満載でツッコミどころがなく、なんだかものたりない。ちゃんとした脚本で、俳優さんたちはみんな上手で・・・もっと「なにこの展開!」「視聴者なめてるんかい」「演技下手すぎ!」というところがほしい・・・いや、そんなことないけどね(笑)

まあ、基本、牧野富太郎がモデルということでだいたいどういう人かわかっているということもあると思う。
こうみえても小学校のころ、私は「植物にくわしい子」だった。
子供は車の種類とか恐竜だとか、怪獣とかの名前をめちゃよく覚えるよね。子供って記憶力がいいし、その記憶力の使い道が他にないんだろうな。親が「この子、天才ちゃうやろか・・・」と一瞬思ったりするのもその頃。よくあることで、私はそれが植物だったのだろう。もっともその後、別にその道をきわめることなく普通のおばさんになった。これもよくあること。

小学校低学年のころは割とおおざっぱな図鑑を持ってたと思うが、高学年になって、学校があっせん(?というか、昔はよく学校の先生が紹介してくれていろんなものを買ったことあったよね?)してくれたハンディタイプの図鑑を買ってもらった。それを見た父が「ほー、牧野富太郎か」と言ったことを覚えている。たぶん「監修」とかに名前があったのだろう。そのときに牧野富太郎という人は植物学の権威として広く知られているらしいと知った。植物に関心なさそうな父が「ほー」というのだから。

で、その牧野富太郎が主人公の朝ドラなわけだけど、いずれ日本を代表する植物学者として大成することはわかっているから、パイロットになるのかならないのか、二人は結婚するのかしないのか心配する必要もないのだ。じゃあどうすればよいのだ(知らんがな)。

いまのところは石版印刷の話がおもしろかった。石に直接手描きするとはびっくりした。もっとも調べるとその後転写する方法が一般的になったとか。そうだろうな。直接描くのは大変すぎる(胸をなでおろすヤマシタ)。
でも、面相筆で植物を描いているシーンを見ていると、私も描いてみたくて、うずうずした。やはり子供の頃に興味を持った分野は一生ものかな。知識は必ずしも定着しなくても。

キウイ

少し前に仕事で某所に行った時、おやつどきだったもんで、ケーキとフルーツを盛り合わせたプレートを出された。その中にキウイをこんな風にしたのがあった。
作り方は私でもわかった。まずキウイを半分に切り、ヘタを切り落とします。中身をくるりっとナイフで取り出して適宜カットいたします。ヘタを内側に落とし込んでこれを「底」にするとカップ状になりますね。そこにカットしたキウイをのせて・・・えっ、長々と説明しなくても一瞬でわかる?! そうかも。かわいいでしょ、これ。

これをやりたくて、その後わざわざキウイを買ったのだけど、なんと私、自分でキウイ買ったのは初めてだったんですよ。だーいぶ前に食べたとき、「ん? なんか種がぷちぷちして変なもんだな」と思ってあまり印象が良くなく、それでまあ、食べないと決めるほど嫌いでもないけどわざわざ買うほどのもんじゃないな・・・と思ってン十年、だったのだ。

でも、そういうわけでひさしぶりに食べたら、キウイ、割とおいしいやん! 急に好きになった。カットすると食べやすいし、緑の色もきれい。種がぷちぷちしていやだ? だれやねん、そんなことゆうたん。いやなおばはんやな(あんただよ)

そして、それからまたスーパーに行って買って帰り、切ってみたらなんじゃこりゃ。緑じゃない。間違ってじゃがいも買ってしまったのかと思うような、黄色いものがそこにあった。びっくり! キウイって緑じゃないのもあるんだ!

びっくりしてメールやSNSで書くとびっくりしたことにびっくりされた。どうも知らないのは私だけだったようだ。
いや、ほかにも何人かはいると思うけどな・・・堺市内で・・・。

黄色いのは「ゴールデン」というのだそうだ。こちらのほうが甘くておいしいので人気らしい。何も知らない私は、スーパーでふたつの箱にキウイが分けて入れられ、片方の箱のほうが減ってたりするのを見ても、単に一つの箱じゃ入りきらなかっただけかと思ってた。レジのおばちゃんがカゴからキウイを取り出すとき「緑のキウイですね」と確認するのも「何を言ってるんだ?」だったが謎が解けた。

知らないことが多すぎると書いたばかりで、さらに思い知らされた感。なにかの陰謀じゃあるまいな。
ちなみに今は二つの箱に分けて入れられたキウイも、「なーんだ。皮をむかなくてもこっちはなんとなく黄色いし、こっちは緑っぽいから分けてるんじゃないか、まるわかりじゃないか。ふはははは」と思うようになった。(それより前に一個ずつ貼られているラベルが違うのだった)黄色いほうが10円高いことも知った。もはや私はキウイのオーソリティかもしれない。

知らないことが多すぎて

前にも書いたと思うけど、新聞を読むときはスマホが必須なのである。わからないこと、知りたいことが新聞を読めば読むほど出てくるので調べながら読むから。時間かかる。だけど、まあ楽しい。
世の中は知らないことだらけだ。それでもいいと思うけど、いつどこで何に出会うかわからない。出会ったものがとっくにこの世を去った人だったり廃れてしまったことだったりするが、それはどうでもいいことだ。ネットのおかげでわれわれはいつでも過去にかえれるし、終わったと思われた事象が絶えず再評価される。過去も未来も割とどうでもいいことかも。

今日出会ったのは・・・と書いて、いやだな、そんなことも知らなかったのか、有名だぜ!だれでも知ってるんだぜ!いまごろ?!と思われそうだなと思うが、上に書いたような理由で気にしないことにする。

ムーンライダーズの「DON’T TRUST ANYONE OVER 30」という曲の歌詞。今日の新聞のとあるコラムの中に引用されていた。

1986年のアルバムに収録されている曲だそうだ。

https://petitlyrics.com/lyrics/74246

福山に行ってきた その2

せっかく来たのだし、ばら祭会場を歩き回った後、鞆の浦に行ってきた。
遠いのかなと思ったけど、福山駅前からバスが出ていて30分ほどで着く。簡単。そしてバスを降りるとそこには気が抜けるようなのどかな光景がひろがっておりました。おお〜〜〜。

のどが渇いたので古い建物を生かしたカフェみたいなとこでドリンクを買い、外で海を見ながら飲んだ。いい気持ちだ・・・。いくらでもくつろいでいられそう・・・。

しかし、そのドリンク(なんという名前だったか忘れたが)、820円もしたぞ!

常夜燈のそばのベンチでは地元のひとらしいおっちゃんたちが大きな声で、のーんびりしゃべっている。仲良しのおっちゃんグループなのかな。
「・・・わしゃあ腹が立って腹が立って」とか「歌は演歌」「ああ、美空ひばりや」とか広島弁で。
いいなあ広島弁。大阪弁はメジャーになりすぎてもうだめだと思う。広島弁、九州弁あたりはちょうどいい感じじゃないかな。方言らしい味わいもあるし、さほどわかりにくいわけでもないし。今後のびるのでは(何様)。

海のそばにはいかにも風情豊かな古びた街並み。いい感じ。
えっ、栗原小巻?!

しかし9時半に会場集合だったので朝5時起き。とにかく眠かった。帰りの新幹線では爆睡。いや、鞆の浦に向かうバスでももう寝てたっけ。おまけにたぶん水分不足だと思うんだけど、歩いていて何度も足がつりそうになったのは困った。でもまあ、だいたいよかった。福山、ありがとう。

と思って、さて帰るかと新幹線のホームへ。そこで気づいた。
「福山城に行くの忘れた!」
何か忘れたなと思ったのだ。福山といえば福山城、ではないだろうか。知らんけど。いや、でももう手遅れだ・・・と思ってふと後ろを見ると、ホームの外、大きなガラス窓の向こうに福山城が! びっくりした!
いや、そこにいるとは知りませんでした、あの、その、いるならいると事前におっしゃってくだされば・・・とわけわからないことを脳内でつぶやきつつシャッターを切った私。

この写真のタイトルは「ほくそ笑む福山城」です。性格悪いっ。

福山に行ってきた その1

土曜日は福山に行ってきた。広島県の、福山市である。
なんでかというと、福山では毎年「ばら祭」というのをやっていて、そのポスターデザインを募集していた。正確にいうとポスターの原画だと思うんだけど、それで応募したら、なんと採用されたんです。
ばら祭は5月27・28日で、27日にイベントの一環として授賞式があった。もちろん、絶対行かないといけないわけではないけど、せっかくの機会だし、ご縁というものではないですか。というわけで新幹線に乗って行ってきたのだった。初福山!

私はよく知らなかったが、福山はかなり前から、ばらの街っていうか、ばらで街を盛り上げようとしているらしい。駅に着くともう、ばらで階段が飾られてるし、バスターミナルにはりっぱなばらのアーチがあって満開。街路樹の根元に花をあしらうということはどこでもやってるけど、福山はそれが、ばら。至る所、ばら、なのである。ローズちゃんというキャラもいる。本気なんです、福山。
当然、年に一度のばら祭(今年が第56回だそうです)も、かなりの盛り上がりよう。駅前から会場の公園にはシャトルバスが運行、会場は2箇所に分かれていたがそのうちのひとつ、緑町公園には巨大テントがいくつか設置されており、その中にテーブルやパイプ椅子が並ぶ。周りにはずらっとおいしいものやばらグッズの屋台が並んでいて、そこで買ってきたものを食べる人たちでテントの下は満席。いや、すごいです。私も「ばら饅頭」を買ってしまいましたが。
もちろん、ばらもみごと。いろんな品種が咲き乱れておりました。


こんなりっぱなイベントのポスターが私のしょぼい絵でいいんだろうか、すみませんすみませんな気分である。でも選んでくれてうれしい。ちゃんとポスターやガイドブックの表紙になっているのを見たらちょっと感動しました。



草むらの中のアジサイ

ちょっと疲れた。しばらく忙しくて。

わー、書いてしまった! 忙しいだなんて。ヒューヒュー! へー、忙しいんだ、そりゃよかったね、ともう一人の私が言いそうだ。もうひとりの私はかなりいけずだ。
まあトシなもんで、たいしたことしてなくても疲れるんす。
今日は朝早く起きたので眠くて、帰宅後にちょっと寝たのだけど、まだ眠いような、ぼうっとした状態だ。

このブログも放置状態で、あっというまにひと月経っている。見そびれた映画、テレビの録画、中断した読書。私のこころはかさかさだぜ。

2日ほど前、それでもカメラを持って家の周りを歩いた。
最近できた住宅の敷地の隣接地だが柵の外、池に向かう斜面に何か淡い色彩が見えたので近づくとアジサイが咲いていた。しかし、まわりは伸びに伸びた草たちでほぼジャングル状態。それでも花を咲かせている(ちょっと早咲き?)アジサイは健闘しているというべきか。この環境で、しんどくないのか。置かれた場所で咲きなさい、などという炎上しやすいフレーズもあるが、この場合は誰か(管理者)が「置いた」と思われるので、置いた責任はあるだろう。

映画その他ここ数日

ばたばたしていてブログ書けなかったのでまとめて。

9日は統一地方選挙だった。予想された結果。暗澹たる気分。

映画を観に行ったんだった。しかし印象薄い。
何を観たかというと「生きる LIVING」。黒澤の有名な、でも私は観ていないし観る気がしない映画「生きる」のリメイク。舞台は1950年代のロンドン、脚本はカズオ・イシグロ。映像はとてもすてき。(冒頭はまるでそのころのフィルム映像でどうなるかと思ったけど本編はふつうに美しい、現代の映像)でも、印象薄い。ものたりない。話が甘すぎるんじゃないか、と甘いお話が好きなヤマシタもつい言いたくなる。ああそうか。「美しくないもの」が映像からもお話からも除外されてるわけだ。

高校の同級生たちと会っておしゃべりした。さすが年取ったものだ・・・私が。
あのころみんな、世間のこと何も知らない高校生だったのに、みんな苦労したよね、と思ってジーン・・・となる自分にがっくりくる。まるでふつうのばあさんだ、これじゃ。そして「それで何が悪い」とたちまちつっこむもうひとりのばあさん、自分がいる。

ここ数日、頭が痛い。いや、これは比喩ではなくほんとに頭が痛い。バファリンのめばすぐ治る程度だけど。
病気になったとき「なんだかこのごろしんどいな」と思い始め、それがなかなか治らず、ひどくなる一方だった記憶があるので、体調がちょっと悪いだけで心配になるのだけど、今はたぶん疲れてるんだろうと思う。病気して以来、毎日体重と体温を測るのが習慣になってるけど別に熱も出ていないし。体重は、やっとダイエットの効果が出てきたかなというところ。

そうだ。しばらくぶりに難波で下車したら駅前が工事中で信号がなくなってて、そういえばここ、歩行者天国にするというニュースをだいぶ前に読んだなと思い出した。

というわけで、写真は難波の駅から少し歩いた「でんでんタウン」のとこの交差点。