大晦日でよかったのは御座候を食べたことではなく、紅白でこの曲に出会えたことだった。かけっぱなしにしてネット見たりしていたが、この曲が聞こえてきて「え、ちょっと待って」て感じでテレビに向き合った。それから何回もしつこく聴いている。小松菜奈主演のこのMVはすてきだけど、歌詞がちょっと聞き取りにくいかな。
食欲はどこへいく
11月ごろはまだあまり食欲がなかった。ないこともないのだけど、何を食べたらいいのかよくわからないというか。なんせ病院食を連日食べている(実際は半分も食べられない)うち、もうどうでもよくなって感覚がおかしくなっていたのじゃないかと思う。病院食には栄養はあっても夢も希望も明日もないのだから。
それで、入院と入院の間の短い時期も、急に自由に食べて良いといわれても途方に暮れてしまうわけだ。通常ならコーヒーとパンなのだけど、それを頭の中に思い描いてもぴんとこない。なんか違う。いろいろイメージしてみて、これならいけるかと思ったのが「卵かけごはん」。やってみたらなかなかよい。以来、毎朝しばらく考えては結局卵かけごはんを食べていた。この時期を「レベル1」とする。
その後、一応、予定された治療をすべて終え(一部の治療についてはできなかったのだけど、まあよしとする)めでたくほんとの退院。それでも相変わらず卵かけごはんにしていたが、ある日ふとパンを食べたくなり、フランスパンを買って来て翌朝の朝食に。おいしい! パンが食べられるようになった!
しばらくするとコーヒーも飲めるようになった。
だいたい、コーヒーが飲めるかどうかが私の場合食欲のバロメーターになってたりするわけで、感無量。ここにきて「レベル2」に達した感。いや、元に戻ったのだ。
元に戻ったらそれでいいので、こういうことはそれより先に「進む」必要は全然ないと思うんだけど、その後もレベルアップがとまらない。
なぜかカップ麺が食べたくて仕方ない。やばい。
カップ麺なんかずいぶん長い間食べていない。きらいじゃないけど、私にとってはけっこう食べるのにパワーを必要とするものなのだ。カップ麺の持つパワーに立ち向かうにはにゅうめんからきつねうどん、ざるそば等を食べる時のパワーではだめなのだ。一回食べると半年くらいは充電期間をおかないと食べられないような気が。なのになぜか、今はいけそうな気がする。軽々とカップ麺に立ち向かえそうな気がしている。どん兵衛や赤いきつねどころか、ペヤングでもラ王でもどんと来い!な気分。これはひょっとして、私の食欲は「レベル3」に達したか。自分では認識していなかっただけで実はうちに秘めたる食欲は、私ってけっこうすごいんです、だったりするのか。いや、でも、食欲に直結する「体重」という問題があるので、ここは慎重にせねばっ。
さらに。
去年の大晦日。突然「あんこが食べたい!」という思いがむらむらとわいてきて、駅構内の御座候の店で初めて購入した。徒歩圏内の店だが今まで一度も買ったことなかったのに。4個。いや、いっぺんに食べませんけど。しかし、「これはひょっとしてレベル4か?」と、買って帰った御座候の包みをしみじみと眺める私がいた。
というわけであけましておめでとうございます。
大晦日の御座候の店はちょうどよいくらいの行列ができていて、順番が回ってくるまでにおにいさんが焼いている様子をゆっくり見ることができた。あんがのっかったほうの皮をさかさまにしてあんがのってないほうにぽん、と乗せる。そして、左手でちょい、ちょいと軽くたたくように整えるおにいさんの白くて細くて長くて骨ばった指先がきれいだなと思ったのであった。
<追記>
イラスト差し替えました。あとから気づいたのですが、このお兄さんは腰をかなり曲げて作業するのです。背が高すぎるのでしょうか。近眼で、顔を近づけないとあんこが見えにくいのでしょうか。よくわかりませんが、それで「ちょい、ちょい」とする動きがよけい独特にみえるのかもしれません。

おばちゃんたちが好きなもの
いや、私もおばちゃんなんですが、私より少し上のおばちゃんたちです。
入院のたびに当然部屋が変わるし、同室のメンバーも変わるし、なんなら入院中も退院する人がいれば入院してくる人、別の部屋から移動してくる人、と入れ替わりがけっこう激しいわけだが、あるとき、同室のおばちゃんAが電話でご家族と話していた。Aさんは声が大きいし、それでなくても仕切りはカーテンだけなので電話はまる聞こえ。部屋の外に出てかければいいのだが、Aさんは寝たきりに近い状態。ときどきリハビリを受けている。
「お寿司が食べたい…今度くる時、助六みたいなん買うてきてほしい」
ほー、あんなのが好きなんだ。
助六と言えば、巻き寿司といなり寿司がセットになったやつ。あれがねえ…。
その翌々日(たぶん)、またAさんが電話。
「昨日な、うまき(うなぎを中に入れて巻いたお寿司?)買うてきてくれたやろ。あれはようないわ。助六がよかってん」
そうなんだ。「うまき」のほうがよさそうだけどな。
その後、Aさんは別の部屋に移動、別の人、おばちゃんBが入ってきた。このときはコロナのせいで、部屋の外に自由に出られないときだったと思う。
あるとき、看護師さんが部屋に入ってきて
「Bさん、家族さんから届きましたよ。巻き寿司」
え、この人(いつもカーテン閉め切ってるので顔をみたことないが)も巻き寿司ファン? 助六じゃないけど、助六の半分は巻き寿司だもんな。ほー!
その後、私は一旦退院。次に入院したときだと思う。お隣のベッドのおばちゃんCがおうちに電話してる。
「ここの食事が…今日も鶏肉をなにしてな、ご飯の上にのせたあったんやけど、あんなん食べられへん…うん…巻き寿司買うてきて」
また巻き寿司! なんで?! なんでみんなそんなに巻き寿司、好きなん?!
まあ確かに、病院食ってごはんもおかずも冷めきってしまってるところが問題で、これがあったかかったらまだ食べられただろうになと思うことが多い。その点、巻き寿司はもともとさめてるのでそんなこと関係ないし、全体に味がついてて食べやすいといえば食べやすいか。うーん。でも、助六といえば私のイメージは「むかし、お通夜の席で配られたやつ」だ。積極的に食べたいとは思わないし買ってきてほしいとも思わない…。
でも、それならおまえはそういうとき、お腹はすいてるけど病院の食事はちょっと、というとき、何を買ってきてほしいかといわれたら、どうしよう。
おいしいケーキか、おいしいパン、かな…いや、どうだろ…?? コロッケとかどうです? いや、ひとに聞くんじゃないってば。
写真は近所のメタセコイア。下から見上げて。

退院しました
同窓会だった
11月12日は2年に1回の高校の学年同窓会だった。
たぶん行けないと、あらかじめみんなに言ってたのだけど、たまたま退院期間に該当。それで、若干不安だったけど、行ってみた。場所は大阪駅直結のホテル。梅田なんかもうしばらく行ってない。それどころか、電車にほとんど乗ってない。どうやって乗るんだっけ。まずドアが開いたら靴を脱ぐんだっけ(しょーむない冗談)。入院のときはバスに乗るけど、バスと電車は違うし。不安しかない。でも、まあなんとかなるだろう。近所のスーパーにはちょくちょく行ってるし、近所も梅田もおんなじようなもんちゃうか?!
と思ったら全然違った。ホテルの会場に着いたときはすでに胸がちょっとばくばくしてて、疲れた…と思った。着いたばかりなのに。
でも、みんなの顔を見てたらなんか落ち着く。ほっとする。同級生ってそんなもんなんだよね。そして、話をしてみると、私よりずっと深刻な病気をしてたりするのにそんな気配を感じさせない。えらいなあ。私なんかほんまに甘ちゃんや。みんなにやっと追いついたぜと思ったらやっぱり追いついてない。
その日は二次会にも出ず、さっさと帰ったけど、梅田は「近所のスーパーに行って帰る」の10倍、いやもっと疲れるのだとわかった。人が多いからか。日本、もっと人口減ってもええんちゃうか。でも、都会って好きなんだけどな。好きだけど、いまはしんどい。
翌日は帯状疱疹の痛みもあって、寝たり起きたりしてた。一回梅田に行くと翌日は使い物にならないとは。だめだこりゃ。

退院はしたものの
コロナに感染したことまでは書いたっけ。
そのときはまだ「陽性部屋」(看護師さんたちはコロナ患者が集められた部屋をそう呼んでいた。「ようせい部屋っていうんですね」というと「そうなんです。メルヘンな名前で(笑)」と言ってた)に入ったばかりだった。まさかその部屋に3週間もいることになろうとは。
鼻の奥をぐりぐりする、あの検査を何回やっても陰性にならない。トイレ以外は出られない生活はかなりつらい。
大部屋は状況によっては友達ができたりしておしゃべりで気が紛れることもある。でも、たまたまなのか状態の悪いひとが多くて、みんなカーテンを閉め切ってる。食事の用意ができて看護師さんが大きな声で「お食事の用意ができました。取りに来れるかたはきてくださーい」というと、みんなぞろぞろと廊下に出ていく。そんなときに声をかけたりして話すきっかけができたり、廊下で外を眺めている人がいたら、また話しかけたりできるのだが、陽性者の場合は食事の上げ下げも看護師さんまかせなので、そんな機会はない。ストレスたまる一方。
やっと、やっと、陰性になったのは8回目の検査でだった。もうこのままじゃずっとずっと陽性なんじゃなかろうか、いいよいいよ、どうせ…な雰囲気だったので、聞いたときは信じられず「うそ! まじ、本当?!」と聞いてしまった。本当だった。翌日、ソッコーで退院した。
しかし、その少し前に何と帯状疱疹になってしまった。発疹が出たのが確か10月25日。その前から、腰が痛いな、いつもの腰痛かと思ってたらそれが背中、さらに肩、腕にまでひろがって「ん? 変な腰痛だな」と思ってたら、帯状疱疹の前兆だったみたい。気づいた時は胸から脇の下、背中、肩まで、体の右側に発疹が広がっていた。
2年前にも罹ったことがあり、このブログにも書いたと思うが、帯状疱疹の痛みはかなりえげつない。まもなくあの痛みが襲ってくるのかと思うとびびる私。だが、今回はあのような激烈な痛みではなかった。それで「痛いですか」と聞かれるとつい、「以前より軽い気がします」と答えたりしたが、甘かった。筋肉痛のような痛みと、表面がぴりぴりする痛みが併存。一見軽そうで、しつこい。トータルすると痛みの量としては前回を上回ってるかも。
そんなわけで、なんとか退院したものの、帯状疱疹の痛みはまだ続いていて、全然弱まった気がしない。病院でもらったカロナールはすでにのみきり、やむを得ずバファリンプレミアムとかなんとかを買ってきた。痛みがあると何をするにも集中できないものだ。加えて、さすがに3週間も幽閉生活が続くと体力が落ちること。退院した日は外に出たとたん、後悔した。少し歩いただけでハア、ハア、胸ドキドキ、こりゃあかん、家までたどり着けるだろうか…と思った。まあこういう状態は1日ごとにどんどんよくなると思ってはいるが。
とりあえず今しんどいのでごめんね。
帯状疱疹のバカヤロー!
写真のタイトルは「テーブルの上のグラスと私の手の影」です。ちょっとおもしろくないですか。

思わぬコロナで
出たり入ったりで今また入院中なんだけど、なんとコロナ陽性になってしまった。これは想定外。
コロナというと5類になったし、世間では「もうそんなに気にしなくていい病気」な感じだけど、病院では違う。家族でも面会禁止だし、マスクは食事の時やシャワーの時以外24時間着用してる。医療施設と一般では運用ルールが全然違うのだ。
で、そんな中で同室のNさんがコロナ感染と判明。すぐに別室に移動となった。その時点で6人部屋にいたのは3人。
さらにUさんも陽性と判明、別室へ。残ったのは私とKさんのふたり。私も咳が出たりして、やばいなと思ってたらPCR検査の結果、陽性。私ではなくKさんが別室へ移動。つまり、この時点で、うちの部屋がコロナ患者専用部屋になったのであった。
その後、Uさん、Nさんが戻ってきて、さらにあらたにひとり、ふたりと別室からやってきて、現在は6人部屋がコロナ感染者で満床という状況だ。入り口のドアは閉ざされ(それまで開けっぱなしで、「ドア、あったんだ」と思ったくらい)看護師は入室の際は入り口の前で防護服を着用、トイレは1箇所が「感染者専用トイレ」としてあてがわれることになった。使用後は必ず消毒。食器は使い捨てできるものになった。
私は幸い咳程度で発熱もなく、コロナの薬の点滴も効いたようで、この分だと軽くで済みそう。でも、同室の人たちの中には排泄介助が必要な人も何人か。防護服(ナイロンガウンに手袋は二重、ガウンとの境目は養生テープで隙間をなくす、目元にはゴーグル、ほとんどだれだかわからない)で汗まみれになりながら大声で「お薬のみました?!」「はい、おむつ替えますよ!」「ごはん食べれました?」「お熱と血圧測りますよ!」と動き回る看護師さんたち、めっちゃ忙しそう。ああ、介護や看護の分野で働くひとたちのお給料、もっと上げてください、まじ。
しかし、こういう話をすると一般のひとは驚く。コロナで、いまでもそんなにしないといけないの?と。患者たちは病気で免疫力が低下している人たちが多いから・・・と思うけど、正直、私にくわしいことがわかるわけない。とりあえずたいへんだと思う。そして、みんな若い。若くなくちゃできないよなーとしみじみ。思えば私も昔はお米10キロを持ち上げることができたが、今はそんなこと信じられない。あの日の私は別人だ。おい、おまえの話はどうでもいいってか。すいません。
まあそんなことで、今回の落書きは橋本環奈。いつものアイビスペイント。
すでに朝ドラ「おむすび」はディスられまくってるようだが、半年続くドラマをそんなに簡単に判断していいのかな。新しく総理になった人もけちょんけちょんな目にあってるが、どうなのかな。年相応にまるくなった(つもりの)私は思うのであった。
