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映画観てきた

「主戦場」を観てきた。すっごくひさしぶりの十三、第七藝術劇場。
チケットを買うと番号が書かれた整理券を渡され、狭い通路に並ばされるって、どんなー。これから小劇場の芝居でも観るような雰囲気だが、映画館自体がそんな感じなんだよね。

平日の昼間なのにけっこう人入ってた。次々に画面に映る予告編がどれも商業的に絶対ヒットしなさそうなやつばかりで、ほんと、地味な映画館なんだけど。

映画はいわゆる慰安婦問題を扱ったもので、さまざまな人たちへのインタビューで構成されている。おもしろかった。と同時に慄然とする。あまりにもお粗末な根拠、いや根拠さえねじ曲げてしまう人たちの声が通ってしまう現実に。一方で、こうした時代の中でもこつこつと研究を続け、成果を積み重ねたり、正しいことを(それも淡々と、冷静に)訴え続ける人たちがいるということは大きな励みだ。あきらめてはいけない、と思わされる。

写真は十三駅前(人がちょっと変になってる)と、十三駅ホームのパノラマ。磯丸水産、ここでもしっかり角を取ってる。

バンブルビー

「バンブルビー」を見損ねたと思ってたら、吹き替え版ならやってますよというところがあったので行ってきた。いつも吹き替え版はあまり見ないんだけどまあいいか、と。
吹き替え版のほうが楽なのはわかってるが、日本人の声はやっぱり軽いというか細いというか、物足りないときがあるので。
私は海外ドラマの吹き替え版を見てると声優たちの言い方を真似したくて真似したくて、がまんできなくなり、実際真似して、一緒に見てる人のひんしゅくを買ったりするんだけど、それというのもあのセリフの言い方ってものすごい様式化してるわけでおかしくて、「吹き替え版」という完全に別ものになってるわけで、さらにいえば子供の頃兄が好きでよくかかってたアメリカのテレビドラマの世界にいまさら引き戻されるようでもあり、なんだかんだで避けたいのだ。
テレビのアニメも基本、見ないけど、その理由のひとつは声優の声が苦手だからだ。真似したくなるけど。

で、バンブルビー、おもしろかった。車がばららららっと変身するシーンは何回見てもすてきで、「トランスフォーマー」以来大好きなのだが、「パシフィック・リム」を見に行ったらがっかりした。ちがう、ちがうんだよ・・・単調で退屈で、寝そう。寝た。あんなのだったらもう行かないと決めた。
するとどうでしょう。私みたいな人も多かったとみえ、反省して「バンブルビー」をつくったようです(勝手に想像)。
「どうもトランスフォーマーファンのおばちゃんたちが逃げていったようや。アクション控えめ、もっとホームドラマ的なやつをつくったほうがええんちゃうか」とか「ついでに懐メロを使ったらうけるんちゃいますか、アーハとかボンジョビとか」「おお、そらええアイデアや」とかの会話が交わされたに違いありません。

まあ懐メロを使うなど若干わざとらし感はありますが、でも80年代の曲、私も大好きだしね。いや、そもそも80年代のアメリカ映画も好きかも。だから、バンブルビー(87年の設定)の街のシーンがいちいち懐かしかった。アメリカなんか行ったことないのに。
カーチェイスのシーンはかなり笑えた。まわりの人はあまり笑ってなかったけど(なぜだ?!)。
そうそう、声優といえば主人公・チャーリーのボーイフレンド、メモの声が志尊淳で、あれはぴったりだった。

写真は映画を見たなんばパークスで。

映画観てきた

今日は「運び屋」を観てきた。なかなかおもしろかった。
90歳の運び屋(麻薬とかやばいものを運ぶ人)という、実際にあった話をもとにした脚本だそうで、監督・主演がクリント・イーストウッド。なんといってもイーストウッド本人が88歳なのがミソだよね。
映画の中の運び屋・アールはほんとに90歳の老人としかみえない。運転技術は確かなのだけど、どうみても「年寄り」。実際、演じてるのが88歳なわけだけど、実際によぼよぼの88歳だったらよぼよぼの90歳を「演じる」ことは難しいだろうし、って何いってるんだろう私。
つまり、まあクリント・イーストウッドってものすごいタフな人なんだろうと感心してしまうのだ。体力的にも精神的にも。90歳を「演じる」ことができるのだから。だけど、ひょっとしたらよぼよぼの90歳を演じるのは実はやっぱり楽で、ふだん「年のわりに異常にタフで監督も主演もやってしまう88歳」を演じるのはたいへんなのかもしれないって、さらに何言ってるのか。

写真は今日行ったシネコンの最寄り駅(ていうか隣の駅)そば。
駅前ではもともとダイエーがあったところが工事中で、もうすぐイオンになる。ポケストップはすでに「AEON」になってた。対応早い。

映画観てきた

「ファースト・マン」をとうとうまともな時間帯にやってるうちに見逃したなと半分あきらめてたら(だって朝の9時台なんてどこのヤマシタさんが観に行くんですか!)梅田のステーションシティシネマで夕方のちょうどいい時間にやってることがわかったので、行ってきた。

よかった。観に行ってよかった。
でもすごい緊張感で、私は絶対宇宙飛行士にはなるまいと誓った。ええ、だれがなんと言おうとお断りします。
これってSF映画になるのかな。違うような気がする。とすると、何になるんだろう。そういえば、近所のツタヤでは「SF」とか「ホラー」とかの分類にまじって「ドラマ」というのがあるけど、ドラマって・・・。

映画の途中、終盤近くで「無音」になるところがあるんだけど、そこで私のおなかがすごい音をたてたので、思わずえへん、おほん、とか体をごそごそ動かしてみたりしたけど、効果なかったと思う。

写真は映画館のそばで。

21世紀の女の子

昨日はシネ・リーブルで「21世紀の女の子」という短編映画集を観てきた。ほとんどが90年代生まれという若い女性監督15人が監督した8分の短編映画15本。そのうちの1本に友人が出演しているという興味から、次第に「なんだかおもしろそうだな」と思い始めて、初日の昨日、さっそく行ったのだ。
「友人が出演している」部分は「えっと・・・ええ?今のとこ?!」な感じだったが、それはさておき。

テーマは「自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間が映っていること」。これはむずいね。これが映画でなく小説だったら、私だったら、なにを持ってくるかなと考えると。
15本の中で私の一押しは山中瑤子監督の「回転てん子とどりーむ母ちゃん」。画面もいいし、テーマの料理の仕方もいいな。監督、97年生まれって、すごすぎだ。

ていうか、よく考えたら「自分自身のセクシャリティ云々」のテーマって、だれでもあることだと言えるんじゃないだろうか(え、ない?)。とすれば、思い切り好きなように、自分の実感でもってやればいいんじゃないかと、後から思った。

15本のうち1本はアニメで、エンドロールが流れる横で映ってたのでところどころ見逃したけど、これがなかなかよかった。切ないのだ。女の子でいることは切ないのだと思わせた。

メリー・ポピンズ リターンズ

「メリー・ポピンズ」のDVDで予習を済ませ、今日は晴れて「メリー・ポピンズ リターンズ」を観てきたが・・・。
うーん。私的にはあんまりおもしろくなかった。しゃれっ気満載、ユーモアたっぷりのオリジナルに比べて中身が少なく、それを派手な装飾でごまかしてるように思えた。トプシーが登場するシーンはやたら長くて退屈で、結局この部分なくてもよくない?な感じだし、ラスト近くで「それができるならさっさとやれよメリーポピンズ!」と言いたくなったり、メリーの活躍ぶりも中途半端。それに、前作から約20年後の設定なので子ども達は成長して親になっているが、妻は死んでるし、家政婦は年老いてるし、「いなくなったものたちの住む場所は♪」とか言われて、全編なんとなく諸行無常の響きあり、だ。ああ。ぱーっと舞い上がっても何になろう、とおばさんは思ってしまう(ネタバレ)。
思い切って現代に登場させるなんてことはできなかったのかな。当時のファッションとか街並みは確かに魅力的だけど。途中思わず長いまばたきをしてしまったのは内緒だ。

写真はそれと関係なく、ある日の夕景(たぶん3日前)。

メリーポピンズ

いつだったか三谷幸喜がエッセイで「メリーポピンズはセリフもすっかり覚えているくらい何回も見たお気に入りの映画」と書いてたのを読んで、そうか、いっぺん見とかなくちゃな〜と思っていた。
すると、今度は近々新しいメリーポピンズの映画(「メリーポピンズ・リターンズ」)が公開されるという。ちょっと見たい気がするけど、それにはやっぱりオリジナルを先に観なくては!と思ってた矢先、押入れの中からDVDが発掘された(しかも、二枚組・未開封)。

で、今日は封を切って、ひとり鑑賞。うん、確かにおもしろいおもしろい。途中、やや退屈な部分がない、とはいえないけど、かな〜り好み。ダーリンも、たまにはいいものを遺してくれるもんだ。
私が特に、これ、好き!と思ったのは「笑い上戸のおじさん」の話だけど、そういえば「LIFE」で超重い靴をはいていないとふわふわとどこまでも浮かび上がってしまう社長の話があった。そのときはおもしろいことを考えるもんだなと思ったけど、元ネタはこれか? メリーポピンズがどうしてやってくることになったのかの経緯も楽しい。公園の、木々に囲まれた回転木馬はとても美しいし。

ちょっとよくわからなかったのは繰り返し出てくる「義足のスミス」の話。私は頭の回転がにぶいので、何回目かでやっと「あ、そういうことかな」と思ったが、当然映画の中の「爆笑」にはついていけない。ここらが難しいところだ。

バンクス家(メリーポピンズが乳母としてやってくる家)の当主の妻は「女性に参政権を」という運動に夢中で家の中のことは二の次状態。「チム・チム・チェリー」の歌は知っててもそういう設定は知らなかった。この映画の時代設定は1910年。イギリスでは1918年に30歳以上の戸主の女性に参政権が与えられ、28年に男女平等(21歳以上)の普通選挙権となったそうだ。

映画観てきた

今日はインド映画「パッドマン」を観てきた。妻のためを思い、生理用品の普及に努力する男、ラクシュミの悪戦苦闘を描いた、実話をもとにした作品。

という程度の前知識しか持っていなかったので、いろいろびっくりした。
生理が穢れと思われ、その期間中は家の中に入ってはいけない(廊下みたいなところで寝起きする)とされていること、ナプキンが普及しておらず、あまり清潔でない古布を使ってることなどは、あーそうなんだと思うが、ラクシュミが試行錯誤しながら自分で作ったり、モニター(とは言ってなかったが)を探したりしていると、それだけでとんでもない扱いを受け、「もうそんなこと言わないで」「恥だから」と一族離散村八分になりかねない大騒ぎで泣くのわめくのというのを見てると、ギャグなのか笑わせてるのかとまじ悩んでしまった。これが「2001年」のことだという。
(だけど、いま書きながら思い出すと、女をばかにしてくやしい、むかつくという気持ちにはならなかった。なぜだろう。あまりにもあまりなので、メルヘンの世界のように思えてしまうからだろうか? ラクシュミがものすごくやさしいからだろうか?)

で、インドにはその時点で生理用品が存在していなかったのかというとそんなことはなく、あるのだけど、ものすごく高価で、貧しい人にはとても買えない。だけど、都市部に住む知識層の人間は普通に使っている。都市と地方の格差が大きいのだ。地方の村ではヒンズー教の信仰が生活に染み込んでいるみたいで、その影響が大きいのだろう。そして最終的にラクシュミはやはり地方の自分の村に・・・って、ネタバレになるからやめておこう。

ラクシュミは立花萬平みたいな男で、もともといろいろ工夫して作ったり(妻と自転車に二人乗りしやすいように、椅子を据え付けたり)、補修するのが得意。仕事の確かさには定評があるようだ。だけど、いったんものづくりに入り込むと夢中になって、まわりがなんと言おうとあきらめない。やっぱり萬平か。パッドの次はチキンラーメンを作ったのではないだろうか。

ニューヨークでなんとかいう人が挨拶(演説?)する場面で「我が国には人口増という問題がある」というのを聞いて一瞬、がーん!となってしまった。インドと日本は・・・ものすごく遠いのだ。

追記:映画は実話を元にしたものだけど脚色もあります、みたいな説明が冒頭にあった。どのへんが脚色かは不明・・・。

写真は今日の梅田。

映画観てきた

久しぶりに映画を観たというか映画館に行ったというか(感無量)。
とりあえず「ボヘミアン・ラプソディ」。うん、良かった。
特にクイーンのファンというほどではないんだけどね。
クイーンはあの当時、「変わったバンドだな」と思ってた。音域広く、それを誇るように朗々と、これでもかとばかりに歌うリードボーカル、そしてコーラスがやたらキマってて。そんなバンドはほかになかったように思う。
フレディ・マーキュリーが若くして亡くなって、そんなできすぎた話があるのかと思った。天才肌の人間が伝説になる。ドラマを地でいってる。

三連休も終わったし、この映画が公開されてずいぶん経っているからもうだいじょうぶだろうと思ってたけど、ほぼ満席。私の隣の席の人は(連れの人との会話でわかったが)リピーターらしく、当然熱心なファンなんだろう。途中からずびずびとすすり泣き始めた。私もつられてハンカチを取り出したけど、よく考えたら筋金入りのファンでもない私が泣くとしたら単に「ああ、この人は死んじゃったんだ」という感傷に過ぎないだろう。それは映画に対して失礼な気がして泣くのをやめた(やめられるんかい!)。

改めて聞くとやっぱりクイーンってすごいなと思った。すいません、今頃で。

写真は今日の御堂筋。

HARBOR TALE(ハーバーテイル)

8月に買ったDVD「ハーバーテイル」をやっと見た。
その頃たまたまクレイアニメの「ニャッキ!」を知った。Eテレでずいぶん昔からやってる有名なアニメらしいけど、知らなかった。子供さんのいる家庭の人は知ってるのかな。いや、私は大人だけどあんなアニメ大好きなんだ。

そのとき、その作者が伊藤有壱さんという人で、その人は「ニャッキ!」だけじゃなく「ハーバーテイル」というもう少し長いアニメも作っていることを教えてくれた人がいた。で、さっそくネットで探したら楽天で新品のDVDを売ってたので買った。届いたので、さあゆっくり見よう〜と思ってたらその頃からちょっと仕事が忙しくなって、見れなかった。
え、本編18分、特典映像12分なので「30分くらいいつでも見れるでしょ?!」「おまえはそんなに忙しいのか?!」って?
そういう単純計算的な問題ではなく、ゆっくり見たかったんです!
だいたい、本体は30分としても、「さあこれから見るぞ〜」というわくわくした時間と、見終わったあとで「ふーん」と余韻に浸る時間、「ちょっとまてよ、あそこは・・・」と戻って見直す時間とか、ついでに何か調べたりする時間とか、「30分」以外にいろいろ必要じゃないですか、ねえ。

そういうわけで、今日は万全の体制で臨みました。たいへんよかったです。港の海の、きらきら輝くさまが目に焼きついています。
「ニャッキ!」もほしくなったな。