快挙か?!

あっという間に桜の木に赤い萼が目立つようになってきたけど、これはこれできれいだと思っている。写真はうちの目の前の広場の桜だけど。

花といえば、3日ほど前、こんな花が満開になってる木を見た。

え、ちょっと待って。この黒いイガイガの実がぶらさがってるということは、これは、アメリカフウ(もしくはモミジバフウ)? アメリカフウの花って、こんな、ブロッコリの親戚みたいな花、なわけ?
まあよく考えたらブロッコリって花の蕾のかたまりだもんね。別に不思議じゃないか。
丸い塊がいくつもかたまったようなかたちで、そしてたぶん、そのひとつひとつが成長して、秋には黒いイガイガになるのかな? 知らなかった。

そんなことでまた感心している私は現在、目(実際には目の周り)がかゆくてたまらないという花粉症らしい症状と、自分の鼻の中がクサいという副鼻腔炎の症状を両立させるという離れ技をなしとげている。これって快挙?! うれしくないぞ!

自分の鼻の中がクサいってどんなにおいかというと、腐りかけの玉ねぎのにおい。クサいにもいろいろあるけど、なんちゅうか、きつーい、刺激的な感じのクサさ。
二、三日前から急にそんなにおいがするようになってしばらく事態がのみこめなかった私だが、どうやらそうらしい。
チョコレートを食べてもトーストをかじってもコーヒーを飲んでももれなく腐りかけの玉ねぎ臭がついてくるのではなはだ不愉快。何を食べても飲んでもおいしくない。ちょっと前は「何のにおいも感じられない」という状態だったので、この腐りかけの玉ねぎ臭も感じられなかったのか? だとすると急ににおうようになったのは治りかけているのだろうかと思うが、違うかも? いつになったら私はまともに食事ができるようになるのだろうか?

ツツジのつぼみ

昨日、近所を歩いていたらツツジのつぼみ、いや、花芽というべき? よくわからんが、かなりふくらんで、すでにこんな感じになっていた。もう花びらの色が見えてるじゃないですか!
でも、ツツジが咲くのはいつも大型連休のころ。まだひと月もある。ここからゆっくりゆっくり、開花の準備をするんだろうか。あまりこの時点でまじまじ見たことないので、なんともいえないが…。

ツツジといえば、花が終わったら夏までに翌年の花芽ができるのだそうだ。なので、その後にへたに剪定して花芽を摘んでしまうと、当然次の年は花が咲かない。剪定の時期に気をつけないといけない。というようなことを読んだことがある。

映画観てきた

風邪をひいて、それがだらだらと1週間以上続いた。
やっとまあまあふつうになって、おととい(月曜)、映画に行ってきた。アカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞したとかいう「Flow」。セリフがまったくない、動物たちが主人公の映画。
舞台は人間が滅びてしまった未来と思われる。
美しい草たちに覆われた光あふれる土地。
突然、洪水が襲い、水位がどんどん上がっていく。人間が残したらしい動物の像。巨大な猫の像も水に沈む。奇妙なかたちの高い建造物が林立するふもとを満たす水の量感、厚みがなんだかおそろしい。
そう、なかなかにこわい映画だった。私には。
目の位置は水面ぎりぎりだったり、水の底だったり。
どこまでも水が続いていることほどぞっとするものはないよね…。そして嵐は来るわ地は崩れるわで、もうどうなるの!と思ってたら不意に光あふれる風景がひろがったりするんだけど…。

寡黙だけどたよりになりそうで「だれかを思い出すな…あ、⚪︎⚪︎さんや!」とつい昔の職場の仲間とかコンビニの店長さんとかを思い出したりするカピバラ。いるでしょ、カピバラっぽい人。だいたいいい人で。
主人公の黒猫と再会できたとき、ぐるぐるまわって喜びを表すゴールデンレトリーバ(犬種が出るわけじゃないので、たぶん。大きくて悠然としてる、毛色が明るい犬)。
そしてワオキツネザルがめちゃおもしろい。未来は人間が滅びてもワオキツネザルはそこそこ繁栄してるらしい。ワオキツネザルの中にも複数の種族があってな。いや、いいか。
真っ白の、脚の長い鳥(ヘビクイワシと書いてるサイトもあったが?)も妙に存在感あって、片足で船の舵を取る姿などすごい貫禄。
そして、鯨。

最後は、え?ん? あ、そうか…そうか。という感じだが、そんなこんなであっという間の85分。

動物たちの体の描写はやや粗いと思うけど、見ているうちにそんなに気にならなくなった。猫の泳力が気になったが、猫も泳げないわけではないらしい。

ワオキツネザルを描こうとしてややこしそうなのでとりあえず簡単そうというだけで黒猫。ネットの画像見ながらイラレで描いた。

ひさしぶりに苔

昨日はよく晴れて昼間はあたたかくなったので、買い物に出る時についカメラをバッグに。レンズはマクロ。

近所を歩き出したものの結局たいした収穫なし。ただひとつ撮ったのがこの苔。
他の苔のなかに違う色の小さな塊があって、なんだろうと思って撮ったもの。こういうのはマクロで撮って、撮ったのを見てやっと詳細がわかる。

種類がわからなかったのでGoogleの画像検索にかけたら「ヒメジョウゴゴケ」だそうだ。
花(?)のかたちが「じょうご」みたいな苔、そしてその手の苔の中では「じょうご」が小さい種類ということかなと思う。なんでも小さいのには「ヒメ」、でっかいのは「オニ」とついてたりするよね、植物の名前。「ヒメ」はいいけど「オニ」とつけられたくないな、私なら。

この色は日本画の顔料でいう「白緑(びゃくろく)」だなと思う。黄色味が強い緑より白っぽい緑が割と好きで、特に葉の裏側を描くときによく使った。日本画なんて、もうすっかり昔のことだ。絵の具、まだどっかにあるかな。

においは大事だ

コロナ以来ずっと鼻声が続いていてみんなから「どないしたん、その声!」と言われていたが、1月20日ごろ(?)急に黄色い鼻汁が出るようになって(すいません、汚い話で)、耳鼻咽喉科に行ったら「副鼻腔炎」と診断を下された。
すぐに撮ってくれたCT画像を見ながらお医者さんが説明するに「ここは空洞なので普通は黒く写るんですけど、グレーになってる。膿がぱんぱんに詰まってる状態」なんだそうだ。がーん。うみはひろいなおおきいなー。

以来、お薬もらって投薬治療中。すでに病院で(別件で)処方されてのんでいる薬との関係で抗生剤はやめてもらって、主に漢方薬。
2週間経ち、この間の土曜日にまた行ったのだが、待合室にいたら診察を終えて出てきた男性が一緒にきた家族らしき人と話しているのが聞こえた。
「…これだけ続けて変化がないということは、もう薬だけでは治らない…手術しないと、と言われた…紹介状書いてくれるらしい。局部麻酔と全身麻酔とあって、局部麻酔はこわがりの人には無理かもしれないとか…」
聞いてるうちにこわくなり、名前を呼ばれて診察室に入って「どうでしたか?」と聞かれたときは「ちょっとましになってきました!」と答えてしまった。本当はあまり変わってないような気がして、あの薬きいてるのかな〜と思ってたのだけど。いや、たまに片方の穴が通って息が楽になるときが時々あることはあるんだけど。

で、また1ヶ月分の薬を出してもらった。それを飲み終わった時点でまたCT撮るらしいのでうそを言ってもばれますよ、ゆうとくけど。

においがほとんどわからないので、味もあまりわからなくて困る。
「だしが決め手」みたいな料理はだいたい無理。デリケートな料理なんだよね、あれは。今日もなんとなくおでんを作ってしまったのだけど、味の加減がわからない。これでいいのかどうなのか。わからん。お母さま、私は味の迷子になってしまいました。
においがわからなくても別に困らないのはパンとかお菓子。天ぷら、とんかつなどはいけるし、カレーやシチュー、ハンバーグなんかもオッケー。お造りとかはもともとにおいがあまりないから、これもオッケー。

おネギを切って、余った分は容器に入れて冷蔵庫に入れた。そのまま3日ほど経ち「まだだいじょうぶかな」とにおいを嗅いでみて、「ああ、そうだ。においわからないんだった」と悲しくなる。
ていうか、腐っててもわからないわけだからやばいですよね! ガス漏れとかあっても気づかないぞ?!


写真はこの間(2月19日)降った雪です。団地があっという間に白くなって、それからあっという間に溶けちゃいました。それでも、それでもうれしかったです。大阪に、11年ぶりに降ってくれたまともな雪だもん…。

シーシー

前から新聞(紙の)をだらだらと長時間かけて読むのが大好きなんですが、最近はわからない言葉があるとスマホで調べたり、知ってそうな人にスマホで聞いたりしながら読むのでさらに時間がかかります。朝刊と夕刊読むだけで人生が終わりそう。休刊だとほっとしたり。

昨日は、食べたあとに「シーシー(シーハーのほうが一般的?)する」というのを読んで「ちょっと待て。今までなんとなく読み過ごしてきたけど、シーシーするってどういうことなんだろ?」と思い、「知ってそうな人」に聞いて、だいたいわかりました。

この間は「痰を吐くってどうするんだろう?」と思って検索して説明読んでもあまりよくわかりませんでした(とてもできそうに思えない)。

そのうち「知ってそうな人」に聞こうと思います。

映画観てきた

といっても先月末。なんだかまたばたばたしていて遅くなった。ばたばたしてると「わー!」と叫び出したくなって気分転換に映画でも観るかと思っていくわけだけど。

観たのは「敵」。ひとことでいうと、あまりおもしろくなかった。これなら観る前から予想ついてたわ、と言いたくなった。予想を覆してくれる何かを期待していったのに。

それ以上になんだかもやもやと、いやな感じがあった。
原作は筒井康隆で、私は読んでいない。映画と原作は別物、と考えるべきだが、それでもたぶん、あの映画には筒井康隆の発想や好みが盛り込まれているだろう。それが、いまの私には「いやな感じ」のするものなのだ。今は昔の、昭和全盛期の文化・思想・風俗あれこれ。私は若くて、「こんなことはおかしい」とどこかで思いながら、一方で「これが大人の世界というものだ」と、まじめにその世界の作法を覚えようとさえ思っていた。なんとはずかしい時代だ、今となっては。忘れたいそんな時代を思い出させる。

むかし、夢中になった吉行淳之介の作品にもそういうところはある。
とはいえ、吉行の作品のいくつかはそんなことを考慮しても名作だろうし、文体の完成度、美しさはもろもろの雑念、外野の声を取るに足りないものとするだろう。筒井康隆だって一部の純文学ぽいのはあまり好きじゃないが、稀有な作家であることは間違いない。昭和なものをああだこうだとけなしたくなるのは単に、私自身が、昭和がなつかしいなどとは言いたくもない昭和のおばはんだからだ。

母の足

この間から数日間、ひさしぶりに湯たんぽを出して使ってみた。
ある日、「待てよ。去年もその前もその前も、湯たんぽなんて使ってなかったのに、今年はよっぽど寒いのか? そうでもないと思うけど・・・??」と急にあやしむヤマシタ。
そして、はっと気づいた。毎年冬になると使ってたニトリの敷きパッド。今年は出すのを忘れていたのだった。そうだ! あれだ! 押入れから引っ張り出して使ってみたらあったかい。湯たんぽいらんやん! しかし、なんでそんなこと忘れるのかなあ。われながら。
それに、なんだこれ、ニトリの広告かい。

で、思い出したのが、こどもの頃のこと。
うちの母はいつも足があたたかだった。
冬の夜、私や妹たちが布団に入っていると、母が布団の中に入ってきて・・・えーっと、どういうシチュエーションだったかなあ。まあいいや。
細かなことは忘れたけど、とにかく、母の足が私たちの足よりずっとあたたかいのだ。それで、私たち子供の間に寝て、さわらせてくれるのだ。ほんとに、びっくりするくらい、ほこほこにあたたかいのだ。
「おかあちゃんの足、ぬくい!」
「そやろ。おこた(こたつのこと)みたいやろ」
「ほんまや!」
「足おこたや!」
私や妹たちはけらけら笑いながらみんなで母の足に自分の足をくっつけた。
あれは幸せな時間だった。

大人になると自分の足もあたたかくなるのかなと思ったが、そうはならず、私は足も手も冷たい。病院にいるときは看護師さんたちに「手、冷たいですね!」とよくびっくりされた(看護師さんたちはなぜかみんな手があたたかかった)。冬になると足にしもやけができるのはしょっちゅう。4年前からは手にしもやけができるようになった。血行が悪いのかな。

なので、いまは「おかあちゃんの足おこた」もないのでニトリの敷きパッドがたよりなんです。また宣伝してしまったよ。

まあうちの近所のサザンカでも見てください。

キイロテントウ

エアコンの室外機の上に黄色いてんとう虫がいたので撮った。

ネットで画像検索すると、つやつやしたきれいなキイロテントウの写真がいっぱい。でも、この子は背中にゴミがいくつもついてて、どこかやつれた風情。これまで苦難に満ちた生活をしてきたのかもしれない。単にうちのベランダが汚いのかもしれないが。

カメラを向けると「え、いいんですかい? おいらでも」という顔をしてました。いいんだよ。

苔ちゃん

この間、高校の学年同窓会のイベントがあった。2年に1回、ホテルとかの会場で同窓会はしてるんだけど、それとは別に毎年1月にちょっとしたイベントがある。そのときに一昨年からは作品展もやるようになった。私は毎回出している(相変わらずのおっちょこちょいで)。

だれでも出したい人は出せる、でも1日限りの作品展。絵や写真が趣味の人はけっこういるので、毎年にぎやかな展示となる。作者が自分の作品について語るコーナーもあって、恥ずかしがりの私もちょこっとしゃべったり。まあそんなに緊張する場じゃないけどね。

今年は苔の写真を3点出した。一つはたぶん、このブログで出したことあるような。もうひとつもSNSで出したような。残るひとつは初お披露目。じゃじゃーん。

撮ってからすっかり忘れていた写真。なんかこの苔、ひとりだけにゅっと出てて、「ん? どうしたん、苔ちゃん?!」と言いたくなりませんか。ならなかったらすいません。