写真(風景)」カテゴリーアーカイブ

ほぼできてるじゃないか

駅の南側で商業施設の建て替えに伴う解体工事がどんどん進んでいるわけだが、一方で反対側(うちの近く)の団地の建て替え工事については、なんと、一部の棟でついに覆いがとれて、外観はほぼ完成したその姿があらわになったのであった。

サッシが取り付けられてたり取り付けられてなかったり、という段階? ここからがけっこう長いんだよね。外から見えない部分の作業が続くから。

入居は来年だと思う。この場所にあった住宅に住んでいた人、そして駅前の高層住宅がいずれ解体されるから、そこの住民が入居するはず。

とにかく、うちの街ではいまあちこちで工事が進んでるわけです。この動きは隣の駅、その隣の駅の地区へと順次波及していく見込み。

滋賀県立美術館

昨日(8月30日)はちょっと早起きして、「塔本シスコ展」をみてきた。会場は滋賀県立美術館。なんでも去年リニューアルしたばかりだとか。最寄りの駅はJRの瀬田。そこからバスに乗る。「文化ゾーン」とかで図書館もある、美しい緑に囲まれた一帯。昨日は雨の後で、ひときわきれいだった。下の写真に見えているのは図書館らしい。左のほうへぐるっとまわって・・・

これが美術館。天気悪い。空が暗い。まあそれもよし。

エントランス付近。

天井、高ーい。まあ最近のはやりだけど(と突き放す)。

館内の窓から見えた景色。まわりはだいたいこんな感じ。茶室も近くにあった。さすが「文化ゾーン」。でも、駅からだいぶ離れたところで、周りはなにもなく、トラックとかがびゅんびゅん走る割と殺風景なところでした。そういうところに忽然と文化ゾーンが現れるのです。

あ、それで展示のほうですが、塔本シスコさんは1913年、熊本生まれ。50歳を過ぎて突然、独学で絵を描き始め、2005年に91歳で亡くなるまでおびただしい作品を残したひと。今回の展覧会では200点以上が展示されていました(以上、概要)。

とにかく色彩でひきつけられる。そして、なんともふしぎな構図。楽しい。感心しながら見てました。写真撮影全然オッケーという珍しい展覧会(撮影OKといってもごく一部であることが多い)だったので、ちょっと撮りました。ちょっとだけ。もっと撮ったらよかったかな。なんせ撮り放題ってめったにないので小心な私は「ほんとに・・・?撮った瞬間にこわいおっちゃんが出てくるんじゃないだろうな・・・」とびびってしまうんですよね。

これは桜島だそうです。南米辺りの火山かと思いますが、そうじゃないのです。山は噴火するとこんな丸いおはじきみたいなものをいっぱい出すんですね。なんて素敵なのでしょう。もっと噴火しろ!と思ってしまいますよね。

これはご家族を描いたものだそうです。かわいいようなけったいなような、ほんと不思議で、色鮮やかで、なんともいえません。

これは一番最後のほうのコーナーで、最晩年の作品群。「花」は重要なテーマだったようですが、とにかく、強い。シスコなんて日本離れした名前をつけられた(養父がサンフランシスコに憧れていてつけたとか)せいか、どこか異国の雰囲気がするような。風景も日本であって日本でないような。私なんか地味な名前をつけられたもんで、地味な人生を送ってきました。名前の力はすごいですね。なにを言ってるんだか。
とりあえず楽しい展覧会でした。私も長生きしたいです。

あの戦争のこと

戦争のことをブログで書くなんて初めてかもしれない。毎年8月になるとうっとうしいくらい新聞やテレビではあの戦争の特集が組まれるし、なにもわざわざ私が書くこともないだろうと、だれも聞かないのに言い訳を考えたりしていた。2013年以降は夫が亡くなった月でもあるので、正直そっちのほうへの思いのほうが強かった。これはまあごまかしではない。新聞では相変わらず8月6日も8月9日も8月15日も、亡くなった人それぞれにかけがえのない生活があり、それが失われたことを語るに徹しているが、なんでそういうことになったのかについては以前からそうだけど、年々ごまかされているような気がする。それなら私が亡き夫のことを優先してもバチはあたらないだろう。と思ったりする。

昨日(16日)、テレビでNHKスペシャル「絶望の戦場」を見ていたら、あまりのひどさに泣けて仕方なかった。ずさんな計画を強硬にすすめ、いざとなると兵隊を置いてさっさと逃げる将校たち。その前編ではいわゆる大本営発表のことが取り上げられていた。どちらもひどい。そして2022年の現実を思うと、ひょっとしてこれはまったく同じ状況なのかもと思わされる。

今日、Twitterを眺めていたら、ある人が連投していた。それを読んでたらまた泣けてしまった。

──「戦争で命をかけて戦った」から「そして今の日本がある」と言う人は、因果関係を論理的に説明すべきだ。財閥解体、農地改革、女性参政権を含む普通選挙の実施、国民主権・基本的人権・平和的生存権、今我々が享受している自由や権利は全て敗戦の結果もたらされたもの。戦いで手にしたものではない。

戦後の経済発展、高度成長も、国連加盟を前提としたIMF-GATT、統一世界市場への参加、特にアメリカへの「集中豪雨的」輸出によってもたらされたものだ。経済発展という面でも、「あの戦い」との連続性は存在しない。

僕は「あの戦争で犠牲になって倒れた多くの方たちのおかげで、今日の我々がある」という事の本当の意味は、日本国憲法に凝縮された「戦後的価値」に導いてくれたことだと思っている。立憲主義も、国民主権も、基本的人権も、平和主義もこの賜物であり、戦陣に散った先輩たちの贈り物だと思っている。──

写真は直接関係なく、大阪駅です。

白米?


最近、気づいたが「白ごはん」のことを「白米」という(いや、「書く」?)人が増えているようである。なにそれ。白米といえばお米。玄米を精米したやつ。ご飯に炊く前の状態だと思ってたが違うんかい。

少し前、新聞記事で「その日、彼女はコンビニで白米と鳥の唐揚げの弁当を買おうとして、やめた。」みたいな文章を(確か一人暮らしの女性が困窮しているという記事で)見かけた。気になっていたが、その後、ネットでも複数回見かけた。私は一瞬プラスティックの容器に鳥の唐揚げが入っていて、その横にさらさらしたお米が入っている弁当を思い浮かべて、「いや、そんなもん、どうやって食べんねん!」と脳内でツッコミ、「ちがうだろー!」と声をあげ、それから「は、はーん」と思う。
なんでそんな書き方をするか、推測するに・・・。
「ごはん」と言いたいが、朝ごはん、昼ごはんというように「ごはん」という言葉は「食事」という意味にも使うから、「おかず」の対義語として使っているかどうかわかりにくいのではないかという配慮?から「白米」にしようと思うわけかな。「白米」のほうが正確っぽいと思ったんだろうか。
いや、でも「ごはんと鳥の唐揚げの弁当」で問題ないよね。書いた人は特に悩まず、ふだんから「白米」をよく使ってるんだろう。日常会話ではたぶん「ごはん」とか「飯」というと思う。

あ、そうか。「白飯」のまちがいから「白米」を使うことが広まりつつあるのかも? えーっ!

とにかく変だ!

と私は思う。思うけど、こんなふうにあちこちで用例を見かけるようになったということはもう手遅れだろう。流れる言葉は止められない。私はあきらめがいいのだ。悲しいけど。世の中、思い通りにならないんだよ・・・。
あーあ。いずれわたしも、ひょっとして長生きした折には「白ごはん」のことを「白米」というようになるんだろうか。(こんな言い方おかしい・・・ごはんだよ、ごはん!)とどこかで思いつつ。私って気が弱いから。いやだなー。

写真は梅申東交差点の陸橋。iPhoneのパノラマで撮るとおもしろいです。おととい撮影。

目のこと

そうだ。書くのを忘れてた。街灯のあかりが輪っかに見えるということを前に書いたと思うけど、それがすっかりデフォルトになってしまった今日この頃。そして、なんだか最近、目がすごく疲れやすい。夜、パソコンを使って仕事をしていて、「ああ、もう目が限界だ〜・・・・本日終了」となったり。
そしてそんなふうに疲れた時は「街灯のあかりが輪っかに見える」のがもっとひどくて、なんだかいろんなものがだぶって見える。もともと近眼だから離れたところのものは「ぼやけて見える」のだが、「だぶって見える」ことはなかった。
あ、そうか。ひょっとして「輪っかに見える」のは「だぶって見える」の延長線上にある現象なのかな・・・とだんだんわかってきたり・・・。

で、そうこうしているうちに、ある日、朝起きたら目が痛くて痛くて開けられないということがまた起きた(これは以前から時々ある。何回か)

それでこの際、眼科に行っとこうかと。いつも行くところとは違うところにした。新規開拓。

そしたら、なんと「白内障、ちょっと出てますね。目薬出しておきます」と言われた。

あー、そうだったのか! なんとなくいろいろ腑に落ちた。目が疲れやすいのも、だぶって見えるのも、ネットでちょっと調べても「白内障の初期の症状」としてリストアップされてるじゃないか!

まー、友人知人の中にはすでに白内障の手術を受けた人も複数いるし、年を取ったらごくフツーになる病気なんだよね。なるほどね。

白内障は基本、治らないのでひどくなったらやっぱり手術なのだろうけど、軽いうちは目薬で「進行を抑える」ことができるのだとか。そういう薬らしい。効くのかどうかしらないけど。
でも、手術を受けた人はその後快適に暮らしているみたいだし、手術は割と簡単なものらしいと聞くので、まあいいか。いや、よくないと言っても仕方ないんで。

というわけで、あまり目に負担がかからないよう、何事もぼちぼちとやりたいと思ってます。

ところで、駅前の商店街の工事が本格化してきました。

風鈴まつり

ちょっと前にも風鈴の写真をのっけた。夏越の大祓でT神社に行ったとき、風鈴がちょこっとつるされてたので写真に撮ったわけだけど、風鈴といえば、以前から(といっても割と最近と思う)「風鈴まつり」をやってるところがある。蜂田神社だ。
この際、そっちにも行ってみないわけにいかないだろうと、今日行ってきた。たまたまワクチンの接種の日で、帰りにどこかで写真でも撮りたいなと思ってたので。

蜂田神社はT神社に比べると小さなお宮さんで、全体が木立におおわれている感じ。だから、境内に入ると一気に涼しくなる。日傘不要。今日なんかかんかん照りだったけどね。やっぱり「木」の力ってすごい。地球温暖化なんだからもっと街の中に緑を増やしたり、建物は庇を深くして日差しを遮るとかしないといけないのじゃないかな。そしたら冷房代節約できると思う。そうだよ、緑を増やすのを義務にしなくちゃ!もっと真面目に考えて・・・何の話だっけ。

そうだ。風鈴だ。風鈴まつりだった。

風鈴をみてたらひとりのおっちゃんに「こんにちは」と、声をかけられる。「こんにちは」と返し、「えっと、こちらのお宮さんの方ですか」と聞くとうなずく。
「宮司さん」と言えばいいのかもしれないけど、見かけポロシャツのふつうのおっちゃんだったので。この宮司さんが話し好きのひとでいっぱい説明してくれる。

「T神社に行った? ああ、あそこは(風鈴の数が)200くらいやろ。うちは1300以上」
「T神社のはな、全部買うんや。うちは寄付」
「木がいっぱいで涼しい? うちはコンパクトシティーやない、コンパクト神社やから」(そんな言葉があるのか)
ちなみに、T神社は広い敷地が自慢で、なにしろあのへんの公園ももとはT神社の土地だってくらいだから蜂田神社何個分やねんてくらいだけど、ていうか、だからというか、本殿の前はがらーんと広い、何もない空間がひろがっている。風鈴コーナーもそこにあるので、私が行ったときなんか梅雨明け直後の猛暑で、あまりの強烈な日差しに写真を撮ってるうちにぶっ倒れそうになったのだ。コンパクト神社の蜂田神社は涼しいけど。という意味。

境内にはあちこちに細いロープがはりめぐらされ、そこにいろんな風鈴がつるされている。100均のもいっぱいあるが、昔ながらの陶器の風鈴を集めた一角もあれば、江戸風鈴、伊万里焼(高いものらしい)、喜多方の風鈴、ついでにバリ島の風鈴、ではないけど、それに近いもの(これも寄贈されたとか)とかを集めた一角も。こどもたちがペットボトルを使って作ったものとか。なかなか楽しい。風が吹くとそれらがいっせいにちゃらちゃらちゃらちゃら・・・・と鳴り響く。幻想的で、どこかシュールな趣もある。

深い緑のなかに風鈴、なので写真を撮るのも楽しい。でも、木が多いので蚊も多い。途中から足をかいては「あー、かい!」腕をかいては「かい!かい!」。発狂しそうになって撮影終了した。

地球温暖化の対抗策はやはり緑を増やすことだが、蚊の対策も忘れてはならないのだ。うむ。

海辺の壁画

何をしていたときだったか忘れたが、あるとき、いわゆる「旧堺港」に長さ155メートルという大きな壁画があることをネットで知った。
堺市がとある企業の壁面を使わせてもらい、そこに観光用の壁画を設置したということだ。海に何艘も南蛮船がやってきて、そして船を降りて上陸した南蛮人たちがやってくる。そんな風景が描かれている。2013年に設置されたという。
で、その壁画の写真を見ていたら、壁画のむこうの建物に社名が入っていて、それが父が勤めていた会社であることに気づいた。なんてこった。

会社が海のほう、埋立地にあることは知っていたが行ったこともなく、かなり遠いところなのだろうと思っていたが、そうではなかった。何年か前にも行った堺の史跡として有名な木製の白い燈台。その対岸だ。燈台を見に来る人に、ついでに見てもらうためのものなのだ。
えっ、それじゃあ、ひょっとしたら、と思ってだいぶ前に燈台やその付近の写真を撮ったときのフォルダを見たら確かに向こう岸に、ぶれてはいるけど社名が入った建物が見える(それは壁画が設置される前だった)。なんてこった。

ともかく、行かないといけない感じがして、今日行ってきた。もちろんカメラ持って。

もっとくっきり晴れた日だとなおよかったかな。これでも、最初はどんよりしていたのでカメラをバッグにしまい、あきらめて帰ろうとしたときに急に晴れてきて、結局iPhoneで撮ったものだ。

父はこんなところに毎日通っていたのか。
まわりは海に近いところにありがちなちょっと荒れた印象の風景が広がるが、とりあえず海も、空も、広い。まあ悪くはないなと思った。

風鈴

ぼーっとしていて、はっと、
「今日は夏越の大祓だ」と気がついた。
それで私にしては割と手早く支度をして、近くの神社に行ってきた。その神社では毎年大きな茅の輪を立てて、参詣のひとが左にぐるっと、右にぐるっとまわったりするんである。それはだいぶ前から知ってるけど、「ふーん」て感じで、自分で行こうとは思わなかった。なんで行こうという気になったのかなと思ったら・・・。

夏越の大祓のころはだいたい梅雨の真っ最中なのだ。写真をみても、たいていはどんよりした白っぽい雨空を背景とするものだ。
今年はなんと、もう梅雨が明けたとか。確かに梅雨明け直後のものすごい暑さだったが、あ、そうか。雨じゃないから行く気になったのか。

しかし、ほんとに、猛烈に暑かった。日傘からはみでた腕が痛い。地面からもわーっとした空気がのぼってくる。

かわいい風鈴が吊るされていて、風に吹かれてささやかな音を立てて鳴っていた。この風景がなかったら正気を保てなかったかもしれんと思う。まったくひどい暑さだった。

エスカレーター怖い

おととい、映画を観に行った。いまごろですんません。

梅田というか大阪駅、ステーションシティシネマなんだけどだいぶ前に一回行ったきり。どう行こうかと考えて新今宮で環状線に乗り換えというあまりやらない方式で行くことにした。やっぱり慣れないことはしないほうがいい。新今宮駅がびみょうに変わっていて若干まごついてる間に一本逃したっぽい。平日の昼間の環状線は本数少ないみたいで、ホームの表示を見ると、なんと次の電車まで20分近くある。やばいわこりゃ。ちょうどいい時間になるよう見計らってきただけに、ここで狂うとまず無理。間に合わないかも。どうしよう。いや、まだわからん。行ってみてだめなら帰るか。ばかみたいだけど。

そこから映画館に着くまでずっと、頭の中は「あかん」「いけるかも」「いま何時。うわっ」「無理」「でも・・・!」「無理!」「でも!」のバトルが延々と。気が気じゃない。やっと大阪駅に着いたら、だーっと一目散にルクアのビルに駆け込んだが、てっぺんの階(映画館のあるところ)に行くエレベーターが見つからない! なんで! あせって近くにいたショップの店員さんに聞くと「あー、ステーションシティシネマは・・・外に出て、エスカレーターに乗って・・・とりあえずエスカレーターです」とのこと。えー、エスカレーター! 前は確かエレベーターで行ったように思うが・・・今はエスカレーターなのか?! てことは11階まで何回も降りては乗ってを繰り返すわけか。絶対だめだこりゃ。もう絶望。


しかし、そのエスカレーター、普通のエスカレーターじゃなかった。2階→5階→7階→10階→11階だった。だから割と早い。でも、要するに長いんです。行きは良かったけど、帰りの怖かったこと! 閉鎖的な空間だと長いエスカレーターも別にどうってことないけど、大阪駅って吹き抜けまくり、広々して見通しがめっちゃいいじゃないですか! 私が高所恐怖症だということを知らないのかー(知らんと思う)。 思わず手すりにしがみつきましたとも!

しがみつきながらも「こ、これは写真撮らなくては。こ、広角レンズを生かすときだ!」とシャッターを切った私をほめてください。ああ、ガタブルガタブル。

手すりを離すとむこうの緑色のスペースでくつろいでる人たちのところまでぽーんと飛んでいきそうな気がしたわ。

(※前行ったときは、たぶんルクアの10階までエレベーターで上がり、そこからシネマに行った、ような気がする)

ちょっと疲れた

しばらく忙しくて、バタバタしてて、ブログ書く余裕もなかった。気がつけばもう5月の下旬だ。あせる私。疲れた。忙しいだけで何もできてない。ちょっと真剣に考える必要があるな。
と思いつつだらだらと時間が過ぎる。

今日はとあるカフェで打ち合わせをしたあと、帰り道のバス(行きは徒歩だった)の中から「あ、この風景、撮りたい!」と思ったところがあり、どうしようと迷ったが結局、一旦駅前に戻ってからまたバスで戻った。

しかし、その場所に行ってみたが、何か違う。バスの座席の高さ、バスそのものの位置(当然、車道)が違うせいか。車道の真ん中でカメラを構えて撮るのも危険なので(いくら車の量が少ないとはいえ)、離れたところから望遠で撮ろうと試みたが、やっぱり違う。何が違うのかよくわからない。時間も、ものの20分程しか経ってない。とはいえ、太陽や雲の位置もあっという間に変わるけど。
とりあえず撮ったけど、全然だったので帰ってから削除した。

さっきの風景はどこに行ったんだろう。

これはその場所ではない。